【ARYA:ひとりごと】
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2001.7.14
『A.I.』
<Storyには直接触れてないからね>
故キューブリック監督が映画化へのアプローチに20年以上を費やし、その意志をスピルバーグ監督が引継ぎ完成した、映画史的な話題作「A.I.」。
出来はサスガって感じでした。ほんと。
方向性の違う2人の天才映画作家が、自らの屈折したヒューマニズムを、本気になってぶつけたファンタジー大作。子供騙しじゃないよ、悪意さえ感じるほどオトナ向き。
ファンタジーにつきものの突っ込みも、完全主義者で映画界の魔王だったキューブリックの執念の前には意味をなさないって感じ。
人間でないものにも愛着はわく。身近なものとしてはポスペがあるね。でももうみんな飽きちゃったんじゃない?
「A.I.」のデイヴィッドは、ポスペとは比べモノにならないほど人間に近いし、感情もある。純粋すぎることだけが、人間ではなく作られたモノであるという悲しさがあるけど。
「ピノキオ」は、妖精ブルー・フェアリーによって本物の人間の子供になりました。デイヴィッドも、ブルー・フェアリーという存在を信じて、人間の子供としてたった一人の人間「ママ」から愛されることを願います。
さて、あなたならどうこのストーリーを終わらせる?
僕も、この映画はどういう終わらせ方をするのだろう?って期待と不安があったんだ。だって、この映画は1冊の小説を読み終えるかのように、始まりから遠く離れた地点まで旅が続いていくんだもん。
知性から感情へ向かう愛。妥協でなく全うすること。そう願うことの遙かな遙かな時間。
宣伝コピーだけでも感動しちゃいそうな作品だけど、実際の作品はもっと映画的な体験の上で感動できるものになってたよ。すごく屈折しているようにみえて、一番納得のいく不条理。でも、それに感動できちゃうのが人間なんだろうな。
実際に監督したのはスピルバーグだけど、キューブリックの残した膨大なストーリーボードとシノプシスは、かなり具体的なものだったんだね。
はじめの章では見事なまでにキューブリック・タッチ、つづく章でスピルバーグ的に映画が解放されて、ラスト近くは2人の魂と技術が融合して。
もしキューブリックが生きていてこの作品を作っていたとしても、スピルバーグの力は必要だったんだろうと思ったよ。
P.S. ジュード・ロウはいい味出してたけど、肌のツヤが恐かった。
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