かなり以前の「Diary」に、98-08-17
<千社札>というページがありました。
僕の家のお墓には、「江戸消防墓参会」「千 政五郎」という千社札がはってあって、彼らは何者で政五郎さんってどういう方なんだろう?という内容でした。
このサイト経由で、高橋さんという方からメールをいただいたのが3月26日。
たまたま検索エンジンで僕の<千社札>のページを見つけ、政五郎さんについての情報、そして僕の先祖にあたる方の情報を提供してくださるという内容でした。
高橋さんは、仕事とは別に江戸消防記念会の私的な史跡調査員をされているそうで、WEBがなかったとしたら、一生接点がなかったかもしれない出会いです。スゴイことだ。
メールには政五郎さんについて…
"既にご存知とは思いますが、彼は江戸消防の世界ではNo.1の方で、黄綬褒章を貰った方です。"
という知らなかった事実が!(ひー、申し訳ないことです)
思わず興奮して、「あの、千社札の政五郎さんのことが分かった!」と弟に電話で報告しちゃいました。
千社札が手塚家の墓にはってあるのは、元々母方の「田中家」の墓を受け継いだからなんですよ。墓が新しくなる前の「田中家」の墓だった頃は、東京大空襲でぼろぼろになった石に、おびただしい数の千社札がはってあって、ちょっと異様な存在感がある墓でした。
母がまだ生きていた頃、ご先祖様が火消しだったので、今でも仲間の人たちがこうやってお参りにきてくれているんだ、って話は小さい頃から聞いていました。でもそれ以上詳しいことは何も聞いていなかったし、母が亡くなってから寺の住職にお聞きしても、「江戸消防墓参会」「千 政五郎」という方の情報を得ることはできませんでした。
だから、高橋さんがご親切に情報を提供してくださろうとしても、僕にとってどういう血筋にあたるご先祖に対しての千社札なのか全然分からないんです。
高橋さんからメールをもらった次の日、なんといきなり直接お会いすることになりました。偶然にも高橋さんのお勤めしている会社の関連会社が、僕の勤めている会社と同じビルに入っていたんです。その関連会社に出向くついでにお会いできれば、という連絡をいただいたので、「なんかすごい縁だなぁ」と思いつつ、昼下がりのイヌイカチドキビルのティールームで、いろいろお話を伺うことができました。
<火消し>というのは、今の消防団とは違って、鳶(とび)の人たちのことなんですね。そんな基礎的なことも分かってなかった。粋で義理人情に厚い男の世界。そんな血が僕の体の中にも流れているなんて、すごい衝撃!おらおら系で生きていくべきだったか、俺ってば。
高橋さんから教えてもらったのは、山口政五郎さんのことと、
"田中様は第一区八番組に所属していた方との記載があります。これは元「は組」です。 そして、第一区八番組は人形町界隈などを受持ち区域にしていた組です。"
ということでした。墓参会のルートに入っているということは、幹部クラスだった可能性も高いのですが、人物が特定できないのでそれもよく分かりませんでした。
でも。自分のルーツがどこにあるのかが分かってくるって、スリリングな体験ですね。生活にもっと余裕ができたら、「江戸消防墓参会」についてもっと調べてみたいと思いました。
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