東大キャンパスの裏手、静かな住宅街の中にある弥生美術館は、大正、昭和初期に活躍した挿し絵画家・高畠華宵(たかばたけ かしょう)の作品を中心に、レトロでモダンなカルチャーをアートとして紹介しています。
今日見てきたのは、大正、昭和初期、都会志向の女学生に絶大な人気を誇った雑誌「少女の友」を飾った挿し絵たち。中原淳一、松本かつぢの描く少女たちは、「お耽美」な目つきで宙に想いをよせ、ハイカラでモダンなファッションを身にまとい、知的でリベラルな芳しいばかりのお嬢様世界を可視化させていました。
デザイナーから出発した中原淳一の絵は、同じ表情の顔ばかりでありながら、モードを強く感じさせるパワーを持っていました。人気モデルが雑誌の巻頭を飾るように、当時は彼らの描く絵に絶大な支持が集まったんですね。
ちょっと驚きだったのは、松本かつぢの存在。
僕、高野文子の描くマンガがすごく好きなんです。簡単な線なのに動きを感じさせる人物の描き方と、妙な懐かしさを感じさせる作品世界に、惚れ込んでいました。ものすごく寡作な人だから、今単行本が手にはいるかどうか分からないけど…。
その高野文子の世界のルーツって、実は松本かつぢだったんですね。
そんなことも知らずに高野文子を読んでいたのか!とマニアな方に怒られそうです(^^;
松本かつぢは、「少女の友」の表紙をはじめ、本誌に掲載された外国文学の挿し絵や口絵で、さまざまなタッチの絵を描いています。今の少女マンガに通じるようなタッチから、クルミちゃんというキャラクターものまで、この人が築いた描き方の技法って、今のマンガにすごく貢献していると思います。
夢二の影響が強かったせいか、当時の女性画って、顔の描き込み方に対して身体の骨格感がいーかげんなんですよね。骨格よりも、線の美しさを優先させていたのでしょう。ところが、松本かつぢの絵には、肉体の骨格がしっかりと把握できるんです。だから、絵に動きがあるんですよ。動きの途中で一時停止させたかのような、アクションが直感できる絵なんです。すごいセンスだと思いました。
「少女の友」でもうひとつ驚きだったのは、付録です。
中原淳一のデザイナーとしての才能を生かして、本物志向の付録が「少女の友」の特長だったようです。素材として紙でなければいけないという制約を、紙でなければ成り立たないものとして、手の込んだカードや手帳、便せんなどが展示されていました。これがすごく凝っているんです。当時の印刷技術では不可能なカードの縁取りでは、職人さんが手で彩色していったそうで。型抜きや加工を考えると、ここまでの付録がつく雑誌となると、今でも相当高額な雑誌でしょう。実際、「少女の友」はお嬢様でなければ買えないものだったらしいですけど。
主筆の内山基のカラーとして自由主義的思想に貫かれたお嬢様の世界。お投稿で銀の時計をもらうために、才女が争って創作に励んでいたようです。お姉さまと妹という「S(シスター)」な関係というのも、この雑誌に掲載された小説から定着したんですね。軍国主義一色の世の中にあって、美しいもの知的なものを愛するスタンスを変えなかったポリシーは、とてつもなくリベラルで驚きでした。
さてこの弥生美術館の3階は、常設で高畠華宵の作品を展示しています。
いかがわしいまでの「お耽美」な目つきの美少年を描いた絵は、まるで「アラン」や「ジュネ」の世界です。でも実際は「日本少年」という男の子らしさを強く求められていた時代の少年雑誌のための絵だったんですね(^^;
高畠先生は、美人画も多く残していますが、やはり本随は少年を描くことだったようです。特に、お尻から足にかけてのこだわりは見逃せません。画面の中で、少年だけが着物の裾を少しはだけて足がみえているんです。…フェチだったんですねぇ(^^)
こんな「お耽美」な絵を見て育ったおじいちゃん、おばあちゃんは、あの戦争さえ起きていなければ、どんな世の中を作ってくれていたのだろう。そんな想いが頭を駆けめぐりました。
興味のある方は、弥生美術館に足を運んでみてください。「別冊太陽」を持っているあなたは、是非ものです。
弥生美術館 03-3812-0012
地下鉄千代田線根津駅より徒歩
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