僕が小学5、6年生だった頃、淀川長治さんが映画について好き勝手にしゃべるラジオ番組を毎週聞いていました。
とにかく1時間しゃべりっぱなしの番組で、淀川先生は一生懸命映画のことを熱く語っていらっしゃいました。
僕は何かをしながらではなく、不器用にもラジカセのスピーカー部をじっと見つめながら、その語りに聞き入っていたものです。
そして、それまで怪獣映画が好きなただのガキが、このラジオ番組をきっかけにして映画を愛する人間に変わっていったのです。
たとえば、『ザッツ・エンタテインメント』。MGMミュージカルの名場面を集めたこの映画、いつにも増して淀川先生の語りは熱いものでした。それでもしゃべり足りなかったらしく、異例にも2週続けてこの映画を取りあげていらっしゃいました。
そして、一流の芸が何かなんて分かろうはずのない子供が、淀川先生の言葉に感化されて、映画館で「すげぇ〜」と思いながらスクリーンに観入っていたんです。
たとえば、『2001年宇宙の旅』。今でこそSF映画の古典として名高い傑作ですが、当時は難解なだけの宇宙映画という扱いだったようです。淀川先生が言葉でこの映画の凄さを熱く語っていたのですが、日本での上映権は切れたまま実際に観ることができなかった幻の映画でした。
その後、『ぴあ』の観てみたい映画ランキングの第1位を何年も勝ち取ってから、ようやくリバイバル上映されました。観てみてビックリ!なんて崇高でイマジネーションに満ちた深い映画なんだろうって思いました。目からウロコが2、3枚落ちましたね。
映画をどう観るかを教えてくれたのは、淀川長治さんでした。
有名な『映画友の会』に出席した訳ではありませんが、僕は勝手に先生と呼ばせてもらっています。
とにかく、スクリーンに映し出された画面そのままを楽しむこと。役者、セット、音、光、衣装、セリフ、舞台となる世界、そして監督のタッチ。いいところはどんな映画にでもある、その良さを分かる人間の豊かさを育てること。美しいもの、汚らしいもの、残酷なもの、それらはみんな人間の中からでてきたもの。たとえ自然現象でも、それをどう見せるかはカメラマンの技。監督の意志。映画にはあらゆるものが詰まっていると。
映画がまだ見せ物だったような頃から、淀川先生は映画を観ていらっしゃいました。すでにフィルムさえ現存していないような昔の映画を、克明に覚えていらっしゃるんですよね。
数年前に一度お体を悪くされたとき、出版、放送業界の人たちは、淀川先生の持っている知識をなんとかバックアップしておこうと、ものすごいペースで本やビデオなどが出ましたね。
誰が言ったのかは覚えていませんが、もし脳を永久保存できるなら淀川さんの脳をとっておきたいといった人がいました。20世紀が産んだ総合芸術「映画」の生きる歴史そのものだった訳ですからね。
『日曜洋画劇場』の解説や一般雑誌の映画紹介では、好々爺な印象の方が強いですが、専門誌などに書かれている評論はかなり厳しいことをおっしゃっていました。
知識の量が違うんです。圧倒的な美意識の高さ、新しいものを吸収していこうとするパワー、本当にすごい方です。
「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンに同性愛的な解釈を加えることで、映画を多重構造で楽しむことを最初に教えられてしまったので、その後もそういう含みを見落とさずに映画を観るようになってしまいました。
オリバー・ストーン監督の作品は、品がないから好きではなかったんですよね。力技の演出に爽快感を覚えたりもしますが、先生がおっしゃる品性の欠如がどこにあるのか、まだ分かるようで分からないままでいます。
10年近く前に年間ベスト1に挙げていらした『シテール島への船出』は、今でも時々「エゴイメ〜ン」というセリフと圧倒的な孤独感に満ちたラストカットが僕の中に残っています。
そして、チャップリンの映画。はじめて映画館で観た洋画が、ビバ!チャップリンというシリーズ企画で上映された『モダン・タイムス』。先生のチャップリンへの尊敬と敬愛を込めた語りとともに、有楽座という一流の映画館で観た『モダン・タイムス』の体験は、映画ってこんなに素晴らしいものだという僕の原体験となりました。そういえば、白黒でサイレント映画だった『モダン・タイムス』を、有楽座で上映することを働きかけたのは淀川先生だったんですよね。
ちなみに生涯独身でいらしたことで、ゲイであることをとかく言われますが、映画に生涯を捧げた誇り高い生き方だったと思います。
映画を愛することは、すべての人間、すべての考え方、すべての表現を愛していくことですから。誰か1人を愛して家庭を持つこととは別の次元で、大きな愛を持っておられた方だったと思います。
先生ありがとうございました、とお礼を言いたいです。
できるかぎり映画のことをこのサイトに残していこうと思います。
RETURN
|