東京国際映画祭で上映される映画の事前情報って、ほんとにわずかなのですが、そんな情報の中から前評判のいい作品というのが出てくるんですよね。この「ツイン・フォール・アイダホ」もそんな前評判の高い1本でした。
シャム双生児とエスコートガールのピュアな心の交流を描くこの作品。シャム双生児という特殊なモチーフを扱いながらも、見た目がグロテスクでなくストーリーも重くないのがいい感じでした。
彼ら、グレゴリーとフランシスが、飄々とした顔の紳士的な青年であることと、同じ顔の2人がゲイの恋人同士のように並んでいることの「ほほえましさ」が、この映画を暗いトーンにしなかったポイント。
1つの体を共有した2つの意識。シャム双生児の片方が病弱のために切断手術をする話というと、萩尾望都の「半神」というマンガを思い出します。2つの意識が独立した存在になることを願った時、はじめて味わう決定的な孤独感。このマンガは悲劇的なラストを迎えますが、「ツイン・フォール・アイダホ」は映画全体の優しさと純粋さを壊すことなく、希望を抱くラストを迎えます。
双子というと、シンクロニシティな人生にドラマ的要素を感じますが、シャム双生児というと、絶対に離れられない他者との共生を考えずにはいられません。
横を向けばいつでも彼がいる。親や兄弟、夫婦以上の絶対的なペア。
生まれつき、というのはそれ以外の状況を考えつけないものですが、「寝る前の1分と起きた時の1分に感じる孤独」というセリフに、途方もない絶望感を感じてしまいました。セパレートであることは、他者との距離感の中に共生を形づくっていくものですが、距離感が0の中に生まれる絆が、眠りの中でだけセパレートな世界を生き、ふたたび現実に戻る瞬間にスイッチが入るのって残酷なような気がしたのです。
1つのボディで同じ人生をトレースしていく彼らの前に、1人の女性が現れることで新たなドラマが生まれます。
この女性が、エスコートガールである必要があるのかな、って疑問はありますが、世間一般の恋愛に満ち足りている女性では、彼らにフレンドリーな態度から接するのって不自然だったのでしょう。だって彼女以外の人々の興味は、「で、ペニスは何本あるの?」なんですから。
そして、SFXではなく、本当に体がくっついて3本足で歩くのが自然なんで驚きます。彼らがギターを弾きながら、キレイにハモりながら唄うシーンがとってもキュート。
一体どうやって撮影してるんだろう?ラッキーなことに、上映後のティーチ・インに現れた監督兼主演の本物の双子の兄弟が、種明かしを披露してくれました。なーるほどー!でもこれはヒミツ。
「悲劇は、悲しい場面で終わるから悲劇なんだ。悲劇の後には幸福が訪れる。物語は続いていくものさ。」体の弱いフランシスが、グレゴリーの寝ている時に彼女にいうセリフ。そう、この映画って、成田美名子のマンガみたいな感触があるね。
どんなにへこむことがあっても、次の展開があるさって考え方は、決して幸福な到達点ではないにしても希望が生まれます。
そうそう。この映画の上映会場にスタッフとして携わった日本人がいて、舞台の上の監督から紹介されていました。アメリカに映画の勉強に行っていた時、この映画の撮影に参加させてもらったんだって。なんか、ほんとにフレンドリーでポジティブな上映でした。
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