気が付くと白い立方体の中にいた。自分がなぜここにいるのかは分からない。壁の各面には次の立方体へと続く扉がある。果てしなく続く立方体。しかもその立方体には、死のトラップ(罠)が仕掛けられている場合がある。はたして、この不条理な空間からの脱出は可能なのか?

パズル・サバイバル・ゲームのようなこの映画。
アイデアの秀逸さに加えて、密室劇の緊張感、幾何学的イメージの美しさが、とてつもなくクールです!

アーバンタイトル(タイトルが出る前にくるエピソード)で、1人の男が網目状のトラップにかかり、全身がサイコロ・ステーキのように分割されちゃうんです。この男がとった行動とトラップをまず観客に観せておいてから、6人グループによる「ゲーム」がスタートするわけ。この掴みがいいね。いきなり緊張感が高まるばかりでなく、最低限のルールを観客に先行して分からせておくトラップにもなっています。

このルールだけで90分も映画が保つ訳ありません。 閉鎖的で息苦しいだけの展開になりそうな密室劇ですが、アーバンタイトルで与えられた情報以上のルールが次々に明かされていくことで、観客を最後まで退屈させないんですね。
トラップを回避しながら進むというワン・アイデアだけに頼らず、トラップを含めた「キューブ世界」の解明を描きこむことで、緊張感を最後まで持続させます。

妻との離婚で精神がクタクタの黒人警官、数学専攻の平凡な女子学生、精神科医の独身中年女性、年老いた脱獄の名人、精神薄弱の青年、そして設計の仕事をしていたという中年男性。
6人のキャラクターは、自分がなぜここにいるか分からないでいますが、次第に、6人が意図的にグループ化されていることに気付いていきます。

エレベータに乗っているとき、知らない人間が途中の階から乗ってくると少なからず緊張するでしょ?一定の境界を超えて知らない人間が近づいてくると、身の危険を感じるシステムが人間にはあるんだって。
1辺5メートルの立方体の中に6人という人数は、他人と安心して接するには近すぎる距離なのかもしれません。画面の中でも人と人との距離が近くて、えらく緊張感がはりつめていました。

「ゲーム」が始まって、まず彼らがクリアーしなくてはならないことは、次の立方体にトラップが仕掛けられているかどうかの確認です。音で作動するトラップ、動きで作動するトラップ、温度の変化で作動するトラップ、立方体によって仕掛けはさまざま。はじめは靴を投げ入れて何も起こらなければ安全という原始的な方法で脱獄の名人レンが先導役をしていましたが、ある部屋でその方法が利かずにレンはトラップにはまってしまいます。

なにか規則性があるのではないか?立方体と立方体をつなぐ接続部分に記された3桁の数字が3つ並んだ組み合わせ、ここに数学が得意なレヴンが着目します。素数が1つ含まれているとトラップがあるのでは?これまで通ってきたルートでは、その法則が成立する!しかし、やがてその法則も崩れ去ります…。(劇場公開時の字幕では、たしか素数だったと思いますが、因数の間違いだったようです。ご指摘くださった方ありがとうござます。)

彼らがどこをどう移動していったのか、観ているうちに分からなくなります。 立方体の内部は、白、赤、青、緑と4色の照明で分けられていて、赤の部屋から青の部屋に移ったという起点感覚はあるのですが、全部は覚えていられません。どこまで行っても同じ部屋なことに変わりありませんから。
設計をしていた男が告白します。自分はこの空間の外壁の設計を担当していたと。ただし、それが全体でどういうプロジェクトなのかは誰も分からないのだと。
この男の証言から、外壁の外形寸法が判明しました。そこから割り出した結果、この立方体の部屋は全部で17576個あり、出口につながるのはその中の1個だけであることが分かります。絶望的な可能性。
やがて3桁で3つの数字の組み合わせは、トラップのあるなしだけでなく立体空間上の座標(位置)を示していることに気付きます。画面ではあまり垂直移動している場面は出てきませんが、巨大なルービックキューブのキューブ間を移動していたことになるんです。
X,Y,Z軸の移動。果たして彼らは出口に辿り着けるのか?
そして、この異空間の外はどうなっているのだろうか?

素数、懐かしいですね。数学の授業以外では自分に関わってきたことなんてありませんでした。数学の得意なレヴンが「3桁の数字の素数なんて、計算機がなきゃ分からないわ!」と怒る場面があるんです。何言ってんの、因数分解すればいいじゃん、って突っ込みたくなりました。日本とカナダの教育の違いなんでしょうか。たしかに今じゃ計算機がないと分からないけれど(苦笑)

カナダのSFホラー映画といえば、デビッド・クローネンバーグ監督の名が最初にあがります。というか他に思い浮かべることができません。B級扱いされるこのジャンルの中にあって、肉体の変容の美学と精神のミスマッチを描き続けるクローネンバーグの作品だけは別格扱いされていますよね。非現実な世界を描きながら、どこかしらにサイエンスな要素を持ち込んで、説得力ある映画にしてしまうクローネンバーグ監督。
28歳でこの『CUBE』を監督したヴィンチェンゾ・ナタリも、非現実的な世界観に説得力を与えることに成功したクリエイターです。
ボタンを口に含んで唾液を出し、喉のかわきを癒やすというサバイバル感なんて、ポリゴン的発想のゲームでは産み出せないリアル感です。
また、「キューブ世界」の外の莫とした描写。何もないかもしれないという不安感。その不安感の上に成り立つ密室の安堵感。脱出だけを目的に行動する登場人物とは裏腹に、僕らはいつしか立方体の中にいることの胎児感覚に似た安心感を得ているのです。この内臓感覚なんかも、クローネンバーグに続く才能を感じさせますね。

映画の絵コンテ・ライターとして腕を買われていたナタリ監督ですから、ビジュアル・センスの良さが際だっていました。『AKIRA』の大友克弘もそうですが、画の描ける人が作る映画は、アングルのとり方がウマイんですよね。トラップのCGイメージも斬新でした。そこだけでも観る価値があります。グラフィック・デザイナーも必見!

CUBE
1997年カナダ映画・91分・Dolby-Stereo・Vista
1988-10-19 シネ・ヴィヴァン六本木
Offical Sitehttp://www.cubethemovie.com/