スリットの光 光のマケット 畠山直哉の写真


ところで、西新宿地区にあるマクドナルド店舗数なんて比じゃないくらい、銀座地区にはギャラリーが密集しています。
銀座は会社から近いので、本当ならしょっちゅうギャラリー巡りをしたいところなんですが、なかなか足を向ける機会がありませんでした。

仕事をお休みしている間に、ギャラリー巡りをしよう!ということで、ここ1週間で3つの展覧会に行ってきました。
近代美術館フィルムセンターでやっている『写真の現在展〜距離の不在』。GGG(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)でやっている『スタシス展』。リクルート・クリエイションギャラリーG8でやっている『山本タカト展〜平成耽美館』。

なかでもすごく印象に残ったのは、『写真の現在展〜距離の不在』。
僕が、アートとして写真を見るようになったのは、アンセル・アダムスの写真集を見たのがきっかけでした。ファースト・コンタクトですね。アンセル・アダムスの静かでどこまでも透明で崇高な風景写真は、衝撃的に僕の網膜を刺激したのを覚えています。
そんな衝撃的な写真との出会いのセカンド・コンタクトが、この展覧会に出展されていた畠山直哉の『光のマケット』と題された写真シリーズ。



限りなく静寂で、クリアな空気感の中に存在する直線的な高層建築。その側面には、生命が宿っているかのように、規則正しく配置された照明灯がぼぉっと光っている。
はじめてこの作品を目にしたとき、その照明灯の光が、あまりにもリアルに平面に存在しているのが驚きでした。どんなフィルターで、どんな露出で撮影すれば、これほど照明灯に生命を吹き込ませることができるのだろう?
そして、膨大な量の照明灯がこれほど規則正しく並んでいる、という現実味のない現実に、視覚的な驚きを覚えました。

細胞と神経組織のように、平面と線で結ばれた都市という塊は、自己増殖してしまった果てのようなところに、都市のアイデンティティが生まれるのでしょう。 幕張新都心を訪れるたびに、「昔の人が描いた未来世界」を感じ取って苦笑してしまうのは、自己増殖を許さない、甲羅に覆われた生命感のそっけなさにほかなりません。
人工的で構築的な幕張の街と『光のマケット』に切り取られた建物の生命感、なにがそんなに違うのでしょう?写真家の目を通すと、これほどまでに現実が違ってみえてしまうということでしょうか?
『光のマケット』の被写体には、オフィスビルではなく、マンションや団地などの高層建築住宅が選ばれています。また、建設中のビルを撮影したものもありました。それは、自己増殖を孕んだ現場の気配。しかしそれは、生命の気配ではなく、どこかうち捨てられた寂しさの気配でした。

展示会場を去る直前、入場する時に渡された1枚の解説に目を落としました。
『光のマケット』は、ライトボックスによって、プリント自体を発光させていると書かれていました。つまり写真の照明灯は、光っているものを焼きつけただけでなく、それ自体が光っていたのです。たしかに間近に顔を近づけて、顔の影がプリントに落とされても、その光は白く浮かび上がっていました。
なんてステキなアイデアだろう!
難しい理論(現代芸術にはお約束の)は僕には分かりませんが、素直に感激してしまいました。


LIME WORKS 自宅に戻り、この幸運な写真との出会いを思い返しているとき、壁にはってある1枚のカードが目に入りました。妙に気に入って、壁にピンで留めておいたものです。それは、畠山直哉の写真集『LIME WORKS』のプロモーション・カードでした。
畠山直哉。今、この人の写真がマイブームです。
静かで透明で構築的で生命感のある彼の視覚世界を、もっと僕の網膜に焼きつけておきたい!



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このページに使用したイメージは、畠山氏の作品に影響されて自分で作成したものです。「LIME WORKS」はシナジー幾何学のサイトから通信販売で購入できます。