ピーター・グリーナウェイの枕草子

「美意識」とか「世代感」という言葉を使う時、 あんたにゃ分からんだろう、ほっほっほ!という優越感が芽生えるよね。

ピーター・グリーナウェイは、美意識の人である。
かっちりと構築された画面構成は絵画的だし、音楽家マイケル・ナイマンとのコラボレーションは、隙のない映像空間を形成している。
清少納言が自分の美意識を断定的に綴った「枕草子」を、これまた美意識の塊であるグリーナウェイが映画化したとあっては、文句があったとしても何も言えない状態です。「美意識の違い」と言われてしまえばおしまいですから(苦笑)

このページは右に横スクロールさせてご覧ください。

*タイトルの写真は、映画を真似て体に書いてもらったもの(^^;
想像通り、とんでもなくくすぐったかった(^^;; とてもじゃないが、全身になんかできないや。
RED ZONE INDEX
 第一の段  第二の段  第三の段  第四の段

「枕草子」は、古典文学の中でも非常に現代的な感性で綴られている作品だと思います。清少納言という女性の目から見た、断定的な世界の切り取り方がおもしろい。 いまどきのコギャル言葉でも翻訳できる、ミーハーさが魅力的です。
その「枕草子」を、グリナウェイはマイ・フェイヴァリット・リストという解釈で物語に組み込んでいます。そう、これは古典の映画化ではないんですね。個人ホームページの世界をみるような、ある種妄想の世界が展開されています。

そういう切り口で映像化するのなら、何も舞台が日本や香港でなくてもいいように思いますが、そこに「書」というファクターを加えたことで、グリーナウェイ的な変態さが浮かび上がってきます。
尖ったペンで刻む文字でなく、柔らかい筆で書かれた漢字。
ヨーロッパ人にとって、日本語の文字はビジュアルとして美しいグラフィックスなんですよね。

皮膚に書かれた筆の文字。
この皮膚感覚は、なかなかにエロティックです。耳なし芳一のように、全身に書き込まれた毛筆は、タトゥーのように肉体と外界とを分け隔てている肌の存在を意識させます。

映画の前半は諾子の身体に書で埋め尽くされ、後半は13の書を完成させるために、13人の男が登場します。
編集長の目前で、服を脱ぎ捨て身体に書かれた「書」をさらけ出す男たち。その「書」の内容を書き移すために、スタッフが裸の男を隅々まで凝視します。
時代設定がいつだか分からない世界観ではあるんだけど、わざわざ身体に書かれた文字を書き写さなくても、「書」の書かれた肉体そのものを写真に撮った方が<作品>を残すのに最適では?って思ってしまいますが。まぁ、それもグリーナウェイの美意識なのでしょう。

肉体を嘗めるようにして「書」を目で追っていく行為は、かなりエロティックではありますが、性欲とは直接結びつかないネイキッドな感覚があります。
この場合、肉体はただの半紙なわけだから。どんなにHなポーズをとらされても、皮膚をもった素材でしかないわけです


書家である父の手によって、誕生日になると顔に名前を書かれた習慣が、諾子を皮膚と書のフェティシズムへと誘います。
そのフェティシズムだけでも1つのテーマとして十分だと思うのですが、なぜかそこに男色という要素が加わります。父親ばかりでなく、恋人まで寝取られた中年おやじへの復習に、書を刻まれた裸の男をメッセンジャーとして送り込む。
なんで?って思うんだけど、その発想の突飛さがグリーナウェイっぽくもありますね。グリーナウェイの場合、裸の男って、デッサン用モデルのように、ただの素材だから。別に裸でなくてもいいのに裸にされるんだよね。
ただ最後の刺客がお相撲さんというのが笑っちゃうんだけどね。それまでしなやかでキレイな体の男たちだったのに、決定打はこれかい?って感じで。なんでぇ?と最後まで思わせるのも、やっぱり彼の美意識なのでしょう。

父の名誉のための闘いという諾子の大義名分は分かるんだけど、男を奴隷のように扱う女になってしまった姿を見たら、逆に父は泣くと思うけどな。

一流のアーティストを集めて、一大コラボレーションをしたというふれ込みのこの映画。でも、フェティシズム的な部分以外は、いまひとつ緻密さに欠けていたように思います。
評論家がグリーナウェイの作品の特徴として取り上げる画面分割の手法にしたって、ビデオの世界じゃ珍しくもないことだしね。『プロスペローの本』は効果的だったとおもうけど、今回はあきらかに二番煎じな画面効果になっていました。
どうしたんでしょうね。美意識の塊の割には、失笑もののお莫迦な描写も多く、アートというものは、自由でこそあれチャチなものではないはずでしょう?って問いかけたくなってしまいます。
でも、そこを指摘したとしても、「私の美意識にケチをつけるなんざー10年早い」とか言われそうで。
「枕草子」という日本文化の遺産を、日本文化への敬意を無視してまで映像化する必要なんてあったのでしょうか?と問いたくなる、とってもヘンな作品ではあります。ヘンな映画好きには、環境映像としてもってこいでしょう。



RED ZONE INDEX