集団心理の恐怖「ミスト」[1]

宣伝文句通りショックを受けたラスト

永井豪著『デビルマン』で、「デーモンは人間の天敵か」を相談してきた不動明に対し、飛鳥了が語る次のセリフが、子どもだった私に決定的な真実として植え付けられました。

「人間はちょっとしたくらやみをこわがる。なぜだろう。そこにこわいなにかが、ひそんでいる気がするからだ…。
こわいなにかとは…。自分の力では勝てないなにかだ…。でも、どうしてそんな心理がはたらくのだろう…。しだれ柳の下の闇に、おそろしい敵のいるのを…。人間は知っているのかもしれない…。数百万年まえ、原始人だった人間の祖先の悪魔〈デーモン〉の記憶が、みゃくみゃくと現代人にまで、うけつがれているのでは…」 (講談社コミックス 永井豪著「デビルマン 第2集」豪華愛蔵版より)

暗闇だけでなく、視界のきかない霧にも、こわい何かが潜んでいる怖さがあります。防御が効かない近さまで接近されないと、襲われていることにさえ気づけないのだから。そいつらは、霧の中でも獲物を仕留める能力を身につけ、生存本能に従って人間を捕食するのです。きっと…。

映画『ミスト』は、まさにこのような状況で、人はどう現実を認識し行動するのかを描く作品です。こう書くと、よくあるパニック・ホラー映画のようですが、巧みな群集劇の描き方とエピソードの積みかさねによって、絶望感を見せつけてくれる脳に焼きつく映画でした。

「映画史上かつてない、震撼のラスト15分」

こんなキャッチコピーの映画は何本あったでしょう?でも『ミスト』のラストにはマジにショックを受けました。どう受け止めるべきか考えようと思っても、しばらく時間を置いてからにしよう、と保留ボタンONにしてしまった私です。ようやく文章にまとめてみようと思いました。

このラストは、スティーブン・キング原作の『霧』とは違う、映画のオリジナルです。
原作:スティーブン・キング×監督・脚本:フランク・ダラボンといえば、映画史上に残る名作『ショーシャンクの空に』、つづいて『グリーンマイル』を放った黄金コンビです。
現代を代表するホラー作家スティーブン・キングの作品は、ほとんどが映像化されていますが、成功例が半分にも満たない、映像化の難しい作品ばかり。それをフランク・ダラボン監督は、2本続けてハイスコアでクリアしました。これはすごい手腕です。でもちょっとずるくも感じました。キングの原作も、ホラーでなくヒューマン・ドラマでは、映像化の成功率が高いのです。ダラボン監督の2作品以外では、『スタンド・バイ・ミー』や『デッド・ゾーン』、『黙秘(ドロレス・クレイボーン)』、『IT』の前編など。
フランク・ダラボン監督にざぶとん10枚あげるには、キングのホラーものを成功させてから、と優等生ゆえの高いハードルを要求していたのです。
それも『ミスト』で見事クリア!Wow!実は『ショーシャンク〜』より先に映画化しようと考えていたらしいので、地味な作品ではありますが熟成度が違います。
人間描写とそのウェイト配分、集団心理、理性とスピリチャルの対立、そして外的の襲撃、手際よくサスペンスフルな展開は、非常に分かりやすく作っておきながら、実は深いものを描いています。ダラボン監督は「映画に必要なカタルシス」を分かってる!と恐れ入りました。

映画の骨格は『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』

観終わってしばし呆然とした後、ふと感じたのは、この映画の骨格は、ジョージ・A・ロメロが1968年に制作したゾンビ映画の元祖『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』に似ているな、ということ。
低予算で作られたモノクロのこの作品、MoMA (ニューヨーク近代美術館) にパーマネント・コレクションされているホラー映画の金字塔です。

冒頭、墓参りにやってきた姉弟にいきなり襲いかかる男の死体。ワケも分からず近くの小屋に逃げ込んだ姉だったが、そこには年齢も人種も違う男女がいて、周りを取り囲む生ける屍から身を守っていた。
恐怖を目前にして、小屋の中の人間たちに起こる意見の対立、エゴの露出、脱出への試み、襲い来る生ける屍たち。長い長い一夜。ようやく夜が明け救助隊の姿を目撃した黒人青年が、扉を開け小屋を出てみると…。

死者が霊となって現れるのではなく、死体が生前の記憶や意志もなく動いて人を襲うという〈ゾンビ〉の恐怖を、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』は初めて映画として描きました。生ける屍はすでに死んでるので、やっつけるには頭部を狙うしかないというゾンビのルールも、この映画で制定されたものです。
無差別に襲ってくる〈考えの読めない相手〉の恐怖に、人間同士が対立していく構図。この作品は、人権運動がわき起こりつつあった黒人社会に対して、白人が漠然と抱いていた恐怖をメタファーにしていました。
『ミスト』には、ストーリーの骨格以外で、この作品のようなメッセージ性が込められているのでしょうか。

霧の表現

霧という闇

冒頭で『デビルマン』からの引用をしましたが、地面に接した雲である霧は、深い闇と同じ視界の効かない異次元ともいえます。
映画のタイトルは『THE MIST』ですが、一般に「mist」は日本語で「もや」と訳されているようです。「霧」は「fog」。その違いは、視界が1km以上あれば「mist」1km以下なら「fog」という濃度の違いで区分されます。この作品では、大人の足で8歩進むとまったく姿が見えなくなってしまう濃度なので、本当は「Fog」というべきなのでしょう。
しかし恐怖を生む空間であるなら、視界の効かない濃度の方が効果的です。映像的に真っ白な空間を成立させるのはかなり難しいのですが。霧は光を拡散させてしまいますが、スモークにライトを当てたように光輝いてもいません。どちらかというと薄暗く感じますよね。雲の中ですから。撮影の露出やピントの深度に相当気を使うだろうことは想像がつきます。漆黒の闇を映像として作り出すのは難しいと言われていますが、奥行きのある単色の世界は、暗くても明るくてもカンタンには作り出せない空間なんですね。

独特な群集劇の見せ方

たまたまスーパーマーケットに居合わせた人々。観客は、ストーリーの中心となるデヴィッドとその仲間たちに感情移入しつつも、「自分ならどう行動するのだろう?どこのグループにつくだろう?」という自分の投影を画面の中に置くでしょうね。
メインキャラクターにだけ意識を同化させない群集劇の描き方はうまいなぁと感じました。

最近の作品では、その場に居合わせているような感覚を作り出すために、ニュース映像のような〈ぶれ〉や〈急なズーム〉を取り入れた画面づくりが流行っています。『ミスト』でもそんな画面が出てきますが、一番特徴的だったのは、人の会話の見せ方でした。
どのような見せ方かというと、聞こえる声の主がはじめ画面に映らず、少し遅れてその声の主が映るのです。このスタイルを、全編を通して多用しています。
これはどのような効果を生んでいるのでしょう。

一つめは、観客を常に聞き役と見立てることで、予定調和的な劇空間でなく、その場に居合わせているような感覚にさせる。
二つめは、声と声の主の画面を分離させることで、映像の情報量が増やせる。話している人物だけでなく、その声を聞いている他の誰かを見せることができる。
三つめは、緊張感が持続する。常に誰が言ってる?というクエッションを持ちながら画面を見続けるから。

さまざまなことを描いているのに、映画の長さを感じさせないのは、三つめの効果が絶大だといえるし、人物描写が緻密なキング作品を成功に導く手法としては二つ目の効果が大きいと思います。このことを気に掛けて、もう一度『ミスト』を観てみてください。

会話の見せ方

下の画像は、アメリカ版公式サイトからダウンロードできる壁紙ですが、コントラストをつけたモノクロになると、かなり印象が違います。ダラボン監督は、この作品をモノクロで仕上げたかったことから、DVDのコレクターズ・エディション版には、モノクロ版『ミスト』が収録されています。私は未見なのですが、きっと1968年『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』のように、影の存在が引き立って、CGなどない時代の映画が持っていたリアリティを感じるかもとイメージしています。

ではここから、ストーリーを追って『ミスト』が描こうとしたものを探ってみたいと思います。たぶん観た人の多くが、誰かとこの作品について話し合いたいと思ったんじゃないでしょうか。
あらすじは、松浦美奈さん翻訳の字幕を一部拾いながらまとめました。ラスト15分には触れませんが、それまでの展開ではネタバレがありますので、これから観ようと思う人はご注意ください。

ミスト:壁紙

 

『ミスト』あらすじ:終わりのはじまり

映画は、アトリエで西部劇のポスター用イラストを描いているデヴィッドから始まります。それよりも真っ先に目が行くのは、アトリエの壁に飾られた『遊星からの物体X』オリジナルポスター用イラスト!これはきっといろんなホラー映画の名作のオマージュが仕込まれているかも?と思わせるオープニングです。
突然、停電で真っ暗に。窓の外は稲妻が湖の対岸にある山の一点に落ち続け、激しい雨風で木々が揺れています。その様子を見つめるデヴィッドとその妻、息子のビリー。「THE MIST」のタイトル。
地下室に家族3人非難した途端、ガラス窓を突き破って木がアトリエの中に刺さってくる。イーゼルは粉々です。
翌朝嵐は去り、デヴィッドの家族は根から折れて倒れた木々を見て、家の前に広がる湖の向こう、山からの霧が湖にかかっているのを目撃します。「湖の上に霧?」と不思議に思いはしますが、デヴィッドと息子のビリーは、買い物リストを持って、隣人の黒人ノートンを連れてワゴン車でスーパーマーケットに向かいます。隣人のノートンとは、土地の境界線争いがあったらしくあまり親しくはしていない様子。ただこの時ばかりは、嵐の被害に遭ったもの同士、助け合い精神が生まれます。

スーパーマーケットに着くと、たくさんの人で賑わっている。
デヴィッドは、4番レジで働く若く美しい女性に、親しげに声をかける。「サリー。大忙しだな。」
サリーは手を休めず「スタッフがそろわず、停電だし。予備の電源は冷蔵庫に。支払いは小切手で。」
なるほどという顔で「木曜の夜、子守を頼める?」と聞く。サリーは感じのいい笑顔で「はい、大丈夫です。」と答える。
次にデヴィッドは、めがねで小柄の店員オリーに声をかける。
「嵐で買いだめする客ばかりだよ。開店からこうだよ。みんな機嫌が悪いよ。」
トホホって感じのオリー。

客の1人が読んでいる新聞(キャッスルロック・タイムズ)の一面には、大きく「史上最大の雷雨」という見出しが。*キャッスルロックは、スティーブン・キングが自作の舞台によく登場させる、アメリカ合衆国メイン州にある架空の街。

買い物を済ませたデヴィッドとビリーは、レジ待ちしながら楽しそうに会話をしている。
さっき入ってきた若い兵士3人を呼びに、黒人のMP(軍警察)が店内を探している。何気なくその姿を目で追うデヴィッド。
急にサイレンが鳴り出す。
何事?と店にいる皆が立ちつくし、一面ガラス張りのスーパーマーケット正面に目をやる。
すると、鼻から血を流した白髪の男が全速力で走ってくる。ドアに飛び込んでくるなり「霧の中に何かが!ドアを閉めろ!閉めろ!」と叫ぶ。
霧が爆風のように駐車場からスーパーマーケットの建物を覆い尽くす。あっという間に視界は真っ白な世界に。
何だ?何なんだ?と動揺する人々。そこへドンッと大きな振動が店を襲う。棚からは商品が落ち、天井の蛍光灯は大きく揺れて落下しそうだ。

揺れもおさまって皆が落ち着きを取り戻した頃、一人の女性が「帰らないと。子供たちが待ってるの」と訴えた。店にいる人たちは「外に出てはいけない」「事情が分かるまで、ここに」と諭すのだが、女性は感情的に訴え続ける。
「聞いてないのね。ここにはいられない。8歳の娘に弟を見させてるの。”すぐ戻る”と言って出てきたし。」
誰か家まで送ってくれないかと頼むのだが、みな視線を合わせようとしない。危険を冒してまで外に出たくないのだ。女性はみなの態度に「みんな、地獄に堕ちて!」と言い捨て、一人店を後に霧の中に消えていく。

この時点では、店内にいる人たちは、顔見知りはいても、基本、他人同士。みんな自分の生活がある。他人のために危険を冒すつもりなどない、日常生活の延長線上にまだいます。
日常生活が過去のものになった現実を思い知った時、1人で帰っていった女性の顔は覚えておいてください。「みんな、地獄に堕ちて!」まさにその通りになるのだから。

コンプレックスを抱く人々

デヴィッドは、息子ビリーのため毛布を取りに行った倉庫で、搬入用シャッターが外から何者かに押されて波打っているのを目撃する。
店内に逃げ帰ってくるなり出くわした店員オリーと電気工ジムらに、今目撃したことを話すと信じてもらえない。
じゃあ倉庫へ、ってことで行ってみることに。
停電のせいで倉庫は真っ暗だ。調子が悪く電源を落とした発電機。「ひどいニオイだ。外の排気口が詰まってるな」と言うマイロン。青年店員ノームは「発電機を動かして、詰まりをとれば」と気楽に提案する。電気工ジムとマイロンも、発電機を一時的に動かして電気シャッターを開ける準備を始める。止めるデヴィッド「やめろ、外に出るな。君たちはなにも分かってない。発電機のために彼を危険にさらすのか?」
だがデヴィッドの話を信じてない彼らは、耳を貸そうとしない。電気工ジムの口から出た言葉は「そりゃ、あんたは、ニューヨークやハリウッドで知られた画家だろうが、俺たちより偉いわけじゃない。大卒のあんたがビビったからって、俺をナメるな」
青年店員ノームも「腰抜けめ」と呟き、シャッターのスイッチを入れ、膝くらいまでの高さまで開けてみる。
霧が、わた飴のような塊となってシャッターの下から現れる。そしてゆっくり溶け出すように倉庫に広がっていく。
「どうだ?ブギーマンがいるか?へへへ、おっかないだろ?」とちゃかすマイロンに、多少緊張していた青年ノームも振り返って笑う。だがシャッターの下方を見ていたデヴィッドの表情が変わる。 
ノームもシャッターが開いた下の方へ視線を戻すと、触手のようなものがのびてきて左足にからみついてきた。驚いてノームは後ずさるが、触手は強い力で左足を高く持ち上げると、反動で床にたたきつけられ、引きずられていく。「何とかしてくれ!助けてくれ!」
ノームがシャッターの外に引きづり出されそうになっているのを、デヴィッドが駆け寄り力いっぱい引っ張る。さっきまでバカにしていた電気工たちは、恐怖におののいて立ちつくしているだけだ。
やがて触手は何本もシャッターの隙間から入り込んでくる。触手は巻きこんだ体を平らに開くと、ヒルのようにノームの股に吸い付いて離れると、ズボンの布地どころか股の皮膚ごと引き離していく。絶叫するノーム。その触手はさらにノームの胸に吸い付き、皮膚をひきはがしていく。
めがねの店員オリーが斧を出して、ノームを襲う触手を切断しようと振り下ろした途端、触手は勢いよくノームを引きずっていき、斧は空振りに終わった。ノームは引きずられながらシャッターの縁に顔をぶつけ一瞬気を失う。それでも最後の力を振り絞ってシャッターに必死にしがみつく。「デヴィッド、もうだめだ!シャッターを下ろせ!」ノームは力尽き、別の触手に首を巻き付かれ、絶望した顔で霧の中に消えていった。
シャッターが閉じ始めると、入り込んできていた触手は順に引き下がっていった。最後の1本にデヴィッドは思い切り斧を叩きつける。先端だけが切断されて残る。シャッターは完全に閉まり、危険は去った。息を荒げたデヴィッドは、電気工2人に怒りの目を向ける。電気工は「すまなかった。あんたの話がよく分かってなかった。何か聞こえたと、もっと説明してくれたら。俺はてっきり鳥か何かかと。」
デヴィッドは堪忍袋の緒が切れて、殴りつける。「お前が殺したんだ!」

最初の犠牲者となった若い店員ノーム。皮膚が触手に引きはがされて、シャッターの向こうに引きずられていく時の、[顔]がかなりイイです。目に宿る絶望感は、夢に見そうな顔でした。
いやいや、これはまだ序の口。夢に見そうな展開はまだまだこれからです。

状況を冷静に受け止めたデヴィッドとめがねの店員オリーは、皆にこのことをきちんと伝えるべきと考える。
そのためには、ニューヨークで弁護士をしている”隣人の黒人”ノートンから説得してもらうのがいい。
デヴィッドはノートンの肩に手をまわし、ここだけの話というように、いま起きたことを話す。だが分かってもらえない。
理解してもらえないばかりか、いきなりキレだした。「君たち…、悪いが私はバカじゃない。何のマネだ?ショックだよ。無神経すぎる。この状況で私を笑い者にするとは」思わぬ反応に、倉庫に行った者たちは呆然としてしまう。
「倉庫へ行って見せよう。血痕と触手の断片が転がってる」とデヴィッドが食い下がると、ノートンはきっぱりと「断る」。
さらに感情的になってまくし立てる「もう、たくさんだ!去年、彼を訴えたから報復のつもりだな。勝訴したうえ、私に恥をかかる気か。どうせゴムの蛇だろ。田舎者めが。(電気工ジムに向かって)あんたはよそ者をよく思ってないだろ。この町に税金を納める私に、あんたは陰口をたたいてる。田舎者は結束が固い。」

突然襲った霧に地震、天災だろうと思っていた事態が急転。霧の中には危険な何かがいる。人を襲う何か恐ろしいものが!
さっきは女性を1人で帰らせた店内の人々は、危険の実体が具体的に分かってくると、身を守るため結束すべきと考えるようになります。スーパーマーケットの正面は、全面ガラス張り。化け物が襲ってきたらまずい。

状況を皆に伝える役目をしたデヴィッドと店員オリーが、成り行き上リーダーとなります。他の人たちは、話を信じて従うしかない状況だから。
でも彼らは一枚岩ではありません。黒人弁護士ノートンは、自分がバカにされていると思いこんでいます。ニューヨークで仕事をしているノートンは、ここではよそ者扱いされている。ちゃんと税金も納めているのに!都会で弁護士をしている私を、無知な田舎者が妬んでいるとも。
ノートンは、デヴィッド家との土地の境界線問題で争ったことからも、白黒はっきりさせることが重要と考えちゃう人のようです。表へ出て救助を呼んでくるという考えは、怪物がいるなんて状況でなかったら、正しい判断とも思えます。ですが、他人の意見に聞く耳を持たない弁護士というのも人間としてどうかと思ってしまう人物です。
カーモディの鋭い一言がいいです。「知的で結構ね、弁護士さん。神のご意思には逆らえない。地獄で上告はできない」

都会で活躍する人間に嫉妬を抱いているのは、電気工ジム。生まれ育ったこの土地で、うだつの上がらない人生を送っているのでしょう。学歴が高くないせいで、損をしてきたと思いこむ出来事が幾度もあったのかもしれません。弱さを男らしい振る舞いでコーティングしている、コンプレックスの塊みたいなおやじです。
誰でもなにかしらコンプレックスを持っているものです。でも彼らはこの地で生きていくにあたり、コンプレックスの反動から、他人に認められたい思いが人一倍強いのかもしれません。

初出:2009年08月14日

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