「シャイニング」考 [3]
土曜日
テロップあとには、オーバールック・ホテルの外観が必ず映し出されてきましたが、ここから雪に埋まり視界もくぐもってはっきり見えない状態になっています。キーンという緊張感の持続を強いるノイズは、まだずっと続いています。
だだっぴろいロビーで、ジャックがテーブルに向かってタイプを打つ音が鳴り響いている。暖炉には火がともされている。
ウェンディは電話が通じなくなったので、無線を使って連絡を試みる。
「KDK12よりKDK1へ」
森林警備隊から応答がある。「こちらKDK1 どうぞ。<中略>近年にない大雪です。<中略>無線は入れたままにしてください。」
ふたたび廊下を三輪車で走るダニーのシーン。不安な音楽が重なってきます。
いつものように角を曲がり、カメラも角を曲がる。
廊下の先に並んだ2人の少女がこちらを向いて立っている。
胸を大きく上下し、少女らを見つめるダニー。
「ハロー、ダニー。遊びましょ。」
いままでただ見えていたイメージから、名前を呼ばれた。
廊下の先に並んで立つ少女2人の声は、妙に近くから聞こえる。
「ご一緒に、ダニー。」
そこで突然斧で惨殺された少女のイメージが一瞬挟み込まれる。
廊下の先に立つ少女へ画面少し近づく。また惨殺イメージが挟み込まれ、さらに並んで立つ少女へカメラが近寄る。
「…and ever. and ever」惨殺イメージと、さらに少女へ近づくカメラ。
恐怖におののくダニーが両手で目を塞ぐ。不安な現代音楽が高鳴っている。
しばらくして覆った手の隙間から、片目で正面を見るダニー。
廊下には、何もない。
正面を凝視しながら覆った手をおろすダニー、祈るように呟く「トニー、ぼく、怖いんだ」
右手があがり、人差し指を屈伸させながらトニーの声を発するダニー。
「ハロランさんも言っただろ。本の中の絵と同じさ。本物じゃない。」
ホテルが雪で閉ざされ、惨劇の序曲がはじまった、という感じのパート。
最後にトニーが言ったことは、ホテル閉鎖の日にハロランと2人で会話した時に出たアドバイスなんでしょうけど、ハロランがそのセリフを実際に言ってるところはありません。
「シャイニング」の恐怖イメージとして何度もインサートされる、廊下に並んで立つ少女。
なんでこんなに怖いのでしょう。
ダイアン・アーバスの双子の写真
「シャイニング」に登場する2人の少女
このイメージは、奇形者や精神病患者のポートレートで世界的に知られることになった写真家ダイアン・アーバスの双子の写真をモチーフにしています。そんなアーバスの選んだ被写体だから怖いのか?いやアーバスの写真は、レンズに向けられた少女たちの表情がとても自然で、怖いという印象は持ちません。
「シャイニング」で感じるのは、冷ややかな目線と上からの照明で目の上とあごの下に影が落ちていること、互いの手を握り合っているということから、自分たちだけの世界からこっちを見てるという距離感です。そこに不安を煽る音や押し寄せる血の波と惨殺イメージが重ねられ、〈死〉や〈あの世〉を暗示されてしまうのでしょう。
並んで立つ少女はアーバスの写真とシルエットが酷似していますが、惨殺イメージもまた絵画作品のような美しい構図を成しています。倒れた少女のポーズ、床に落ちてる斧、倒れたイス、どれも絶妙な配置バランスです。これはもしかして実際の殺害風景ではなく象徴化されたイメージ?とも思ってしまいます。
ちなみにアーバスの写真モデルとなった双子のその後はここで見られます
月曜日
/──119分版ではカット──/
窓の外では雪が激しく降っているなか、テレビで「おもいでの夏」を観ているウェンディと、おもちゃで遊んでいるダニー。
ダニー:ママ?消防車を取ってくる。
ウェンディ:待って。パパがお休みよ。
ダニー:音は立てない。
ウェンディ:今、寝たばかりよ。待てない?
ダニー:そうっと行くから。
ウェンディ:ではいいわ。静かにね。
ダニー:分かった。
ウェンディ:すぐ戻って。じきに昼食よ。
母子は父親にすごく気を遣ってるのが分かりますね。生活時間帯が父親だけ昼夜逆転してるのも。
電話線は豪雪で断線してて、こんな悪天候でも電波だからテレビは映るのかとか、なんで子どもがいるのに、<筆おろし映画>の名作「おもいでの夏」なんて観てるんだ?とか思ってしまいますが、このシーンは119分版ではカットされています。
居住部屋のドアをそうっと開けて中に入るダニー。視線はずっと父親が寝ているはずの左奥の部屋を見つめている。寝室が見える位置まできたとき、ジャックがベッドに腰掛けてぼーっとしているのが目に入る。ダニーの気配に気づいて、顔をこちらに向けるジャック。
ダニー:消防車を取りに来た。
ジャック:ちょっとおいで(と手を差し出す)
──ゆっくりとダニーが父親の方に歩み寄ってくる。
ジャックはダニーの脇に手を差し入れ、抱き寄せる。だがダニーは体を硬くして、甘えようとはしない。
ジャック:どうだ”先生”。楽しいか?
ダニー:(小声で)yes,dad.
ジャック:よかった。楽しんでおくれ。
ダニー:(無表情のまま)楽しいよ。パパ?病気なの?
ジャック:(首をふって、小声で)No. 疲れただけだ。
ダニー:じゃ眠ったら?
ジャック:眠れない。仕事が山ほどある。暇がない。
ダニー:パパ。…ここが好き?
ジャック:(不安な音楽がながれはじめ、ははっと笑って、はじめてダニーと顔を見合わせる)好きだとも。大好きだ。君は?
ダニー:だろうね。
ジャック:(何度も軽く頷きながら)好きになってほしい(言い聞かすように)できたら、いつまでもここに。永遠に、ずっと。
ダニー:パパ。
ママや僕をいじめないで。
ジャック:(意外な言葉にすぐに言葉をだせず)何の話だ?
ママが言ったのか?パパがいじめると。
ダニー:言わないよ。
ジャック:本当か?
ダニー:本当だよ。
ジャック:愛してるよ。世界中の誰よりもお前がかわいい。そのお前をいじめるものか、絶対に。分かっているだろ?(やさしく微笑むが、無精ひげで髪がぼさぼさの顔は薄気味悪い)
原作者のキングがこだわっていた父性が映画で描かれているのはこの部分。
でもここでのジャックは、うつ病おやじのような状態。不眠を訴え、反応動作が緩慢で、目つきが虚ろ。そんな状態でも父親として息子への愛情を示したいという気持ちが痛々しいです。

ここに来て以来、父は母子と距離をとり続けています。もしかしたらこれまでもずっとそういう生活だったのかもしれません。この年齢くらいの子どもにとって、父親というものは、自分にだけ向けられるべき母親の愛情を横取りする存在だったりします。父に抱き寄せられてもダニーが体をこわばらせているのは、そんな父親との距離感のせいかとはじめは思います。
また119分版ではまるまるカットされてしまった女医の診断シーンがあれば、以前ジャックが原稿を巻き散らかしたダニーの腕を掴んで肩を脱臼させたという事件から、本能的に父親に腕を捕まれると緊張してしまうことも想像できます。
「いじめないで」のひと言で、観客は分かってしまいます。これから起こることをダニーは分かってるのかもって。でもそのひと言がきっかけで、未来は悪い方にスイッチが入ってしまったなんてことまでは分からなかった。
父の頭には、母親がいじめられていると子供に吹き込んでいるかのような邪念が生まれてしまいました。こういう精神状態の時、こういうきっかけ与えられちゃうと、邪念というかネガティブ・シンキングが加速しちゃうんですよね。
さて、次章「水曜日」からストーリーは急展開していきます。
細かく章分けされたここまでの展開は、たんに序章として日にちの経過を見せておく必要があったからという感じです。次章は一気に映画を採録します。
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