「シャイニング」考 [6]
午後4時
食料庫の奥、麻袋に寄りかかってジャックが眠り込んでいる。
目が覚めて不快そうにゆっくり体を起こす。傍らにはお菓子類を食べ散らかした跡がある。
右足首が痛むのか、両手で押さえている。グレーディー(声):トランスさん、グレーディーです。
ジャック:グレーディー?
──棚に手をつき、右足首をかばいつつ立ち上がり、声のする扉まで足を引きずって歩いていく。
ジャック:グレーディー。
グレーディー(声):トランスさん。あなたには無理なようですな。ご相談した例の”仕事”は。
ジャック:(扉に手をついて聞いていたが、直立して冷静な口調で語る)そううるさく言うな。ここを出たらすぐ始末するさ。
グレーディー(声):できますかな?(ジャック、頭が痛むのか右手でおでこを押さえる)どうも──疑わしい。私も仲間の者もそう思っています。乗り気でないし──勇気もないと。
ジャック:(力ない笑いの後、わかってるという感じで軽く頷く)もう一度チャンスを与えてくれ。頼む。
グレーディー(声):奥さんは私たちの予想以上に強いし、知恵や工夫もありそうだ。あなたは負けた。
ジャック:今はな、グレーディー。今の間だけだ。
グレーディー(声):私は心配だ。この問題の解決には、非常に厳しい態度で臨まないと。そうでないと、必ず失敗しますぞ。
ジャック:そうするとも。喜んでやるよ。
グレーディー(声):誓っていただけますか?
ジャック:(頷く)誓うとも。
少しの間の後、扉の閂が抜かれる音が聞こえ、大きな反響音とともに扉が開かれる。
ジャックはずっと直立している。
林の間にできた雪のコースを、ライトをつけた雪上車が走ってくる。
防寒着を着込んだハロランが不安そうな顔で運転をしている。
不吉な現代音楽が鳴り始める。
ワイパー越しに見える風景は、暗闇が迫り、ライトが届く範囲しか見通しが利かない。
ダニーがトニーの声で『レッドラム、レッドラム』と繰り返しながら、ベッドで寝ているウェンディに近づいてくる。ウェンディは気づかない。ダニーはベッドサイドに置いてあった長い包丁を手に持つ。刃先に指を這わせてから、向きを変えて鏡台の方へ近づいていく。鏡台に置かれたキャップをしていないルージュ・スティックを手に取ると、寝室の白い扉に『レッドラム、レッドラム』を繰り返しながら「REDRUM」とルージュで書き始める。「D」と「R」が左右反転している。
『レッドラム、レッドラム』は呪文のように続き、やがてだんだん声が大きくなると、声色がトニーからダニーに戻ってくる。
きゃあ、と叫んでウェンディが跳ね起きる。ダニーが左手に包丁、右手にルージュを持ち「レッドラム、レッドラム」と叫ぶのを、まず包丁を引き抜き、両肩を押さえてなだめ、しっかりと抱き寄せる。その時、ウェンディの目に、鏡台に写った扉の文字が飛び込んでくる。
「MURDER」”殺人”
すると大きな衝撃音が響き、ダニーを抱いたままウェンディの顔に恐怖が走る。
ジャックが廊下で、斧を振りかざして扉を破壊している。
ウェンディ、包丁を手から離さずダニーを抱き、衝撃音に怯えて寝室の奥「REDRUM」と書かれた白い扉を開き、浴室に逃げ込む。鍵をしっかりかけるウェンディに、ダニーがしがみついている。
ジャックは大きく振りかぶって、力いっぱい斧を扉に突き刺している。
ウェンディは手に持った包丁を洗面所に置くと、便器の奥にある引き上げ窓に駆け寄る。が、ここから唯一脱出できるその窓は、あまりにも小さな窓だ。さらに引き上げても窓の1/4程度にしか開かない。母親にしがみついていたトニーが鳴り響く破壊音に振り返る。
開いた窓から身を乗り出すウェンディー。外の状況を確認する。雪がうまい具合に積もっていて、ホテルの2階にあるこの窓から滑り台のようにして地上に降りられるのが分かる。ジャックの斧はついに扉の一部を完全に破壊し、できた隙間から部屋の中を覗きこむ。にこやかに「ウェンディ、ただいま」と声をかける。手を扉の内側に持っていきドアノブに刺さった鍵を開け始める。
浴室のウェンディは、先にダニーを逃がそうと、体を抱えて狭く開いた窓に足から押し込む。体が窓を抜けたダニーは、雪の斜面を滑って無事地上に脱出。つづく母親を待っている。だが、ウェンディは体がつかえて窓を通らない。
びっこをひきながら、部屋に入ってくるジャック。
ウェンディ、窓から一度身を引いてみる。ダニーは寒そうに2階の小さな窓を見つめている。
ジャック:“おいで、おいで、どこにいる”
ウェンディは、もう一度窓を大きく開こうと努力するが、今以上には開かない。身を乗り出して、必死にその狭い空間に体を押し込もうとする。
ジャックが寝室奥の白い扉の前まで来る。鍵が内側からかかっているのが分かると、見つけたぞという顔になり、ノックをしてみる。
ウェンディ、やはり窓から体を通すことができない。
ウェンディ:ダニー、窓につかえたわ。早く逃げて。隠れるのよ。
母親が降りてくるのを待っていたダニー、言われたとおりその場から走り去っていく。
ジャック:“子豚ちゃんたち、入れとくれ”
ウェンディ、ジャックの言葉にうろたえ、洗面所に置いた包丁を握りしめると、浴室の隅に体をぴったりと寄せる。
ジャック:(童話のオオカミ役をしているように)“オオカミなんか入れないぞ。そんならおれの鼻息で…”
(扉から一歩下がり、斧を構え)“ワラの家など、ひと吹きだ。”
斧を大きく振りかぶり、刃先を扉に突き刺す。
扉の向こうにいるウェンディが恐怖の叫びをあげる。浴室の隅に体を寄せているウェンディ、目前の扉に斧の刃先が突き刺ささってくるたび、身を震わせ顔を歪めて叫び声をあげる。ついに、扉のこちら側に斧の刃先がまるまる突き抜けてくる。飛び上がって怯えるウェンディ。
容赦なく振りかざされる斧の攻撃で、扉の一部はズタズタとなり大きな裂け目ができている。
斧を振りかざしていたジャック、扉に近づくと、縦に裂けた隙間にぴったりと顔を押しつけ、部屋の隅に目やりながら「お客様だよ!」(旧字幕では”おコンバンハ”)
ウェンディ、恐怖で叫びが止まらない。
ジャックは裂け目から手を入れ、ドアの鍵を開けようとする。そこへウェンディは持っていた包丁で入ってきた手に切りつける。うわぁあ、と手を引っ込めるジャック。吹雪の中、ハロランの運転する雪上車は、オーバールック・ホテルが見えるところまでやってくる。
浴室の中、震えが止まらず呆然としているウェンディ。外でモーター音がすることに気づく。
ジャックも同じく近づいてくるモーター音に気づき、聞き耳をたてる。
静寂に響き渡るモーター音をたて、雪上車がオーバールック・ホテルの前庭まで走ってくる。
ウェンディとジャックは、何の音かと扉を挟んで互いに硬直状態。雪上車が止まった。
(吹雪のような効果音がつづく)
調理室につながる廊下を走ってくるダニー。1階のホテルロビー玄関から入ってきたのだろう。後ろを振り返り、ステンレス製作業台下の収納スペースに飛び込み身を隠す。扉を内側から勢いよく閉めるが、なにか引っかかって完全には閉まらない。(119分版ではここから吹雪のような効果音がつづく)
斧を持ち、右足を引きずって、ジャックが管理人居住スペースから調理室にやってくる。ウェンディはまだ浴室の隅から動けないでいる。泣いて、包丁を持っていない左手で顔を覆う。が、ふと外から聞こえたモーター音のことに頭がいく。誰かが来たのだ。ジャックはもうその場にいないことが分かっているので、扉を開けて出ようとする。が、扉は破壊されてノブを掴んでも開かない。思わず手に持った包丁でノブを叩きつける。
ハロランが前庭を歩いてくる。ここまで吹雪のような効果音が続いているが、いったんフェードしてから屋外の実況音である吹雪の音に切り替わる。
1階の玄関ドアが少し開いたままになっている(ウェンディがガレージの雪上車を確認するために出て行った時のままになっている)そこから中に入っていくハロラン。ジャックは足を引きずりながらロビーに向かう。びっこ歩きをする足音が響く。「ハロー?」というハロランの声が遠くで響く。「だれかいますか?」
広いロビーが見渡せるとこまで歩いてきたジャック。ハロランの声がより大きく響く「だれもいませんか?」ハロランは「The Golden Room」前の廊下を、辺りをうかがいながら「ハロー?だれかいますか?」と呼びかけて歩いてくる。「だれもいませんか?」角を曲がってロビーに向かう。吹雪の音のような効果音が不安をかき立てる。自分の発する声以外は、足音だけが響き渡る。「ハロー?だれもいませんか?」
ロビーの端まで来たら、突然右側にある柱の影からジャックが怒号とともに現れ、斧を野球のバットのように振り切った。斧の刃先はハロランの胸に食い込み血が溢れる。ドンッという鈍い音とともに激しい音楽が鳴り始める。「うわぁぁぁぁ」叫ぶハロラン。
同時に暗闇で叫び声をあげるダニーのアップ。
ジャックはバットを振り切ったままの状態で、斧の刺さったハロランを押し倒す。
叫ぶハロラン。ダニーの叫び声が重なり、アップが短くインサートされる。エコーが消えるようにダニーの叫びが消え入る。ジャックが凶暴な獣のような目つきで顔をあげる。原始的な宗教儀式で唱えるような声が重なった効果音が高鳴る。
ジャックは次の標的に向かって足を引きずりながらも駆けはじめる。「ダニー。どこだ。」ロビーから職員専用スペースとつながる廊下を前にした時、立ち止まり「ダニー」と大声で呼ぶ。
すると廊下の奥で、作業台から飛び出し逃げていくダニーが見える。ドンッという鈍い音とともに激しい音楽が鳴り始め、ジャックが追い始める。
ウェンディは包丁を片手に、職員居住スペースの階段を上っていく。上の方を向き「ダニー」と力なく呼びかける。原始的な宗教儀式のような現代音楽が鳴り始める。階段を上っていくウェンディの顔つきが変わる。ある一点を見つめ、視線を離せない。
その視線の先にあるのは、扉が開かれ明かりのついた部屋。部屋の中ではぬいぐるみのようなものがベッドに伏せている。そのぬいぐるみが動きだして体を起こす。着ぐるみを着た人間だ。ぬいぐるみの下になっていたタキシードの男も体を起こし、こちらを見つめている。ズームイン。奇怪な黄色い顔で舌を出した熊の着ぐるみ男と、金髪の上品そうなタキシード男がこちらを見ている。ウェンディ、ただただ呆然として立ちつくす。が、めまいを起こしたかのようにふらつきながらその場を逃げ去る。
斧を握りしめ、ロビーから開いたままの玄関扉に向かうジャック。前庭の様子を伺う。暗闇の中、ホテルの夜間照明に照らされた雪上車があるだけだ。玄関の右脇にあるコンソールボックスを開け、照明スイッチをONにする。薄暗闇だった前庭の街路灯が一斉に灯り、奥にある迷路の外壁まで見えるようになる。
雪上車の影に隠れていたダニー。
玄関先から「ダニー」と怒鳴るジャックに反応して、そっと雪上車から離れる。
それを見つけたジャックが追いはじめると、ダニーも反射的に駆け足となり、雪で白く浮かび上がる巨大迷路の入口に入っていく。
迷路の中を右へ左へ角を曲がりながら駆けていくダニーの後ろ姿を、どこまでもどこまでもスムーズに追っていくカメラ。
足下に設置された夜間照明灯が美しく白銀の迷路を照らす。不安な音楽が高鳴る。どこをどう逃げているのかもう分からない。
ジャックも迷路の中をダニーを追っている。カメラはジャックの顔を捉えたまま、スムーズに移動している。右手で上着の合わせ目を掴み、「ダニィィィィ」と怒鳴り声を挙げる。「待て!」
ジャックの主観映像で見えるのは、雪の上に残った足跡。
走って逃げるダニーの足下を映し出すカメラ。雪が飛沫を上げる。調理室への廊下にたどり着いたウェンディ。辺りをうかがい「ダニー」と呼びかける。ロビーに差し掛かったところで、角から様子を伺おうとする。その先には、人が横たわっている。高鳴る音楽。不安と混乱の顔でそれが何か見つめる。血まみれのハロランが横たわっている。ウェンディの顔に絶望と恐怖がはしる。
ふらふらとハロランの死体がある廊下ではない方向に向かおうとした時、突然悲鳴を上げて振り返る。タキシードを着た男が立っている。かち割られた頭をくっつけたような傷が走る老紳士が、グラスを片手に微笑む。「盛会じゃね」
悲鳴が荒い息づかいと重なり、ウェンディは背を向け、何度も振り返りながら、逃げていく。迷路を逃げていくダニー。原始的な宗教儀式のような現代音楽。ジャックが名前を呼ぶ声が何度も聞こえる。
狂った目つきで追うジャック。「捕まえるぞ」
息が切れて苦しそうだが、執念で体を動かしている。「逃げられないぞ」
/──119分版ではカット──/
ウェンディはロビーまで逃げてくる。するとロビーは埃と蜘蛛の巣で覆われた廃墟のようになっている。「あああっっっ」目を飛び出してしまうほど見開く。ソファには正装した男女の骸骨が座っている。そこにも、ここにも。
/──カットここまで──/
かなり息が荒くなり、前屈みになってきたジャック。ひたすら足跡を追っている。
照明が反射して明るくなった直線コースで、ダニーは立ち止まり、自分の足跡をなぞって一歩ずつ後ろに下がっていこうとする。
息があがりながら薄笑いを浮かべて追ってくるジャック。
ダニーはかなりの距離足跡をなぞって後退している。そして足跡から横飛びでそれると、手で雪をかき乱し足跡を消し始める。
真っ赤な壁の廊下を逃げてくるウェンディ。開いた扉の向こうに、エレベーターがある。
エレベーターのドアの隙間から、津波のような勢いで血が溢れ出してくる。ダニーが何度も予知能力で見てきたイメージだ。血は激しく飛沫をあげて流れ込む。迷路の中、生け垣に寄り添って隠れているダニー。
その生け垣を挟んだルートをジャックがやってくる。足を引きずりながら、ダニーの足跡を追ってくる。ジャックの主観映像となり、追っていた足跡が突然途絶えているのに気づく。どこだ?どこ行きやがった?と周囲をうかがうジャック。声を張り上げて叫ぶ「ダニィィィィィ!」
息を潜めて隠れているダニー。
ジャックは、なにか思いついたらしく、にやっと笑うと、足跡が消えた地点から右に曲がって追い始める。
ダニーはそっと足跡を操作したルートに出ると、ジャックが策略に気づいて戻ってきていないことを確かめ、今まで逃げてきたルートを逆走し始める。自分と足を引きずった父親がつけた足跡を逆に辿れば、迷路を出ることができる。ジャックは足跡に頼らず、やみくもに迷路の中を追っている。顔に震えが起きている。
ダニーは、迷い無く迷路の中を走っていく。ホテルの外に出てきたウェンディ。ハロランが乗ってきた雪上車のところまで来ると立ち止まり、周囲を伺う。
ダニーが後ろを振り向きながら駆けてくると、足をとられて転んでしまう。
ウェンディが「ダニー!」と声を張り上げる。手に持った包丁を投げ捨て、走り出す。「ママ!」
ダニーは、ちょうど迷路の入口を出たところで転んでいた。
ウェンディとダニーは駆け寄って、しっかりと抱きしめ合う。そして身を寄せ合い、ジャックの気配に怯えながら、雪上車に乗り込む。ジャックは、息を切らし苦しそうに、よろめきながら追いつづけている。が、ついに足を前に出すことができなくなり、転倒。それでもまだ起き上がろうとする。
雪上車が動き出す。
そこに、ジャックのわけのわからない雄叫び(ダニー!と聞こえる)が重なる。ジャックは天に向かって何かをわめき、泣き声となり、身を屈める。
雪上車はホテルの前庭を横切り、ハロランがつけた雪上車の跡に沿って走っていく。
雄叫びをあげるジャックは、すでに意識朦朧状態。ろれつがまわらず「ウェンディ」と叫んでいる。よろよろと夜間照明の届かない暗闇のルートを、前方に見える光に向かって歩を進めるが、力尽きて腰を落とす。いきなりカットINで、明るくなり雪に埋まって黒目が上を向いたまま凍り付くジャックが映る。

ホテルのロビー。ソファ類にはシーツが掛けられている。「The Golden Room」のボード。
「Midnight with the stars and You (真夜中に星々と君と)」が流れるなか、
カメラがゆっくりと正面の壁にかかった写真へと近づいていく。
写真はどれも往年のパーティーを撮ったものだ。
カメラは、中央の1枚へさらに寄っていく。
着飾った大勢の男女がこちらを向いている記念写真。
その最前列中央に立っているのは、ジャック・トランスの顔をした男。
写真の下には、「Overlook Hotel July 4th Ball 1921」と記されている。
フェードアウト。エンド・クレジット。
映像の力が凄いクライマックスを、文字に置き換えることで台無しにしてしまったかも。と自らの行為に恐れおののいております。
この映画で起こる現象は精神病理的に説明できるとしている方もいますが、扉を解錠してジャックを食料保管庫から出したのは誰?ってところがひっかかってしまいます。姿は見えませんが、どう考えてもグレーディーです。ゴーストです。このホテルに棲むゴーストは、ダニーの首にアザを残すなど、物質に力を作用させることができるようです。ただしダニーの首についたアザは、本当に237号室の女の仕業かどうかは分からないのですが…。
食料庫に閉じこめられたジャックに、扉の向こうから「できますかな?どうも──疑わしい。私も仲間の者もそう思っています。」と問いかけるグレディー。与えられた任務を遂行できなかったジャックは「もう一度チャンスを与えてくれ。頼む。」と自ら敗者復活を乞うことになります。それによって、超能力を持った息子と母親を”しつけ”ることが絶対使命としてジャックを突き動かします。
ところで映画版のホテルに棲むあっちの世界の住人は、本当に住人という感じで、原作のようにとてつもない邪悪な意志をもつ存在としては描かれていません。そっとしておいて欲しいだけのゴーストのようです。いつまでもいつまでも1920年代の舞踏会を続けている、それはまるでイーグルスの名曲「ホテル・カルフォルニア」の歌詞のようだと思いました。
キューブリックは、人のカタチをしていない邪悪な意志を描くのを、あえて避けたのかもしれません。もしやっていたとしたら、「2001年宇宙の旅」のHAL9000とボーマン船長の対決を焼き直したものになってしまう危惧があったのではないでしょうか。デジタル処理技術がまだなかった時代、モーションコントロールカメラとオプチカル処理で、どこまでカタチのないものを表現できたでしょう。安っぽくならずに。
カタチなきものは可能な限り画面に見せず、その主観映像による人間の反応を中心に持ってくるでしょう、きっと。カタチなきものの主観映像を考えていたならば、開発されたばかりのステディカムは、うってつけの武器です。被写体を移動して追いつづける画面を、まるで霊体の主観映像のように、ブレを起こさず浮遊するかのように撮影できるステディカム。
映像から展開を創り上げていくのであれば、秘密兵器であるステディカムが、もっとも威力を発揮するシチュエーションをまず考えるでしょうね。移動撮影のためのレールを敷けず、車イスで移動させるにも足場が平らでない状況。結果、雪の積もった迷路を曲がりくねって走る人物をブレずに追う映像を実現させ、人々を驚かせることに成功しました。
左右に流れ去る生け垣、中央奥の遠近法消失点。輝く光。そして行き着く先には、唐突な静止。フリーズ、氷り漬け。これって「2001年宇宙の旅」のスペース・ワープ映像を、雪の迷路に場所を変えて焼き直していませんか。もしかして自己パロディ?
いや、パロディという言葉は適切ではないでしょう。キューブリックという映像作家のこだわり続けた表現モチーフと言った方がいいかもしれません。

家族が暮らす部屋の玄関扉を、斧で叩き割ろうとするジャック。安全な映画用小道具ではなく、本物の斧を本気で力一杯振ってる迫力。
ジャックが思い切り振りかぶって振った斧は、刃先が扉にめりこみ、その刃先を抜き取ってから再び大きく振りかぶるのを、カット割りせず一気に見せているのがコワイ。
ここでキューブリックは、刃先の軌道に合わせてカメラを左右に振ったPANを使っています。カメラ自体を移動させず、位置を固定して左右に振るPANを使うのは、キューブリック映画では珍しいことです。あえて使ったPANは、さすがに斧の凶器性を効果的に画面に捕らえています。カメラを動かすタイミングとスピードが超絶!
振りかぶってから振り下ろすまではブレるほど早く、扉に突き刺さって引き抜く直前にピタッと静止し、また勢いよくカメラを振り戻す。重さのある斧と同化した動き。観客の意識を凶器の動きと同期させるということは、殺意の共有をしてしまうことですね。原作の終盤で、ハロランが木槌の不在を意識したとたん、邪悪な意識が乗り移ってきて、突然〈たちの悪いがき〉と〈いまいましい声を出す女〉に殺意を抱くようになるのと似た感覚です。
スプラッターシーンがないにも関わらず、斧を持ったジャックが足を引きずって追ってくる姿に恐怖を覚えるのは、狂気の顔もさることながら、斧のリアルな破壊力をここで見せつけたから。頑丈な木材でできた扉が、あそこまでズタズタになる様を。躊躇無く斧を振り下ろすジャックの姿を。
さらに浴室側画面からは、手前に扉を突き破って露わになる刃先が見え、奥で恐怖に泣き叫ぶウェンディの姿が延々と映し出されます。凶器の破壊力と人がマジで怯えている顔は、実際の血を見せつけなくとも、スプラッター効果を十分に植え付けられます。ウェンディの怯え方はサイコーです。演技とは思えないほど。マジで怖かったんでしょうね。
原作では重要な存在のハロランが、逃亡用の雪上車をホテルに運んでくるだけの役目で、こうもあっさり殺されてしまうのは、唖然としちゃいました。原作を読んだ方、しますよね?
映画ではジャックが主人公ですから、特別な能力〈シャイニング〉を共有するダニーとハロランの無線LANのような関係は、ばっさり省かれてしまいました。しかもその能力を〈シャイニング〉と呼ぶのは、ホテル閉鎖の日にハロランとダニーが2人きりで会話した、その時1回きりでした。
「シャイニング」というタイトルは、原作のタイトルに従っただけ、というのがキューブリックの弁らしいです。つまり、そのタイトルでなくてもよかった、ということですね。
それでも「シャイニング」をタイトルに選んだのは、映画には映画なりの意味を持たせているとは考えられませんか? たぶんですが、言葉通りの輝き、光、聡明さを意味しているのではないか、とクライマックスの雪の迷路を観ていて感じました。
浮遊してブレることなく、雪の積もる曲がりくねった迷路を追ってくるカメラ。ダニーを追う時はダニーの身長に合わせ、地面に近いところにレンズがある。この迷路には、生け垣の下に夜間用照明が設置されているから、ダニーを捕らえる画面には、光が美しく入ってくる。一方追うジャックの場合は、レンズは顔の位置にあります。当然ダニーよりも高い位置にある。光は下から顔を照らし、光の届かない影が画面を多く占めている。
そしてひときわ光で満ちている真っ直ぐなルートで、ダニーは足跡を逆に戻るという冷静で聡明な行動に出ます。ジャックはそのトリックに気づかない。どころか、どんどん暗い道へと突き進んでいき、最後は奥に一点の光が差しこんでくる真っ暗なルートの中、シルエットで力尽きる姿を見せる。光と闇の対比。ただ延々と追いかけっこが続くだけなのに、恐怖と憐れみの映像カタルシスとなっています。憐れみは、息が荒くなりダニーが雪にのこした足跡を見失い、怒号を発するジャックの姿に。
先ほど「2001年宇宙の旅」に似ていると書いたステディカムによる迷路シークエンス。その先にあるのは何なのか。「シャイニング」の場合は、夜間用照明の輝く光。常に先に見える光。その光が照らし出すのは、生命の危機を自らの知恵で乗り切ったダニーの聡明さです。つまりそれが映画でいう〈シャイニング〉なのではないかと。
凍り付いたジャックのまぬけな顔。劇場だと必ず誰かの笑い声が出るカットです。
気が抜けます。ここまで緊張を高めておいて、狂気で恐ろしい顔のジャックをさんざん見せておきながら、なぜ最期がこの顔なの?って。
2回以上観ていると、この上目使いの顔、1人ホテルに残される図式は、「木曜日」のパートそのままではないか?と感づきます。セリフもない短いパートの「木曜日」が、あえてあの場所に置かれている訳も。

エンディングは、舞踏会の音楽「Midnight with the stars and You (真夜中に星々と君と)」が流れつつ、1921年7月4日の舞踏会記念写真に寄っていきます。最前列中央に手を広げて笑って立っているのは、ジャック・トランスに似た男だった。
ジャックは死してホテルの住人に迎え入れられた。いつまでもいつまでも1921年の舞踏会を続けているあっちの世界の住人として。
──というのが世間一般の解釈ですよね。

それはそれで物語が完結してるとは思うのですが、自分は「これってハッピーエンドなのか?」と違和感を覚えていたのです。ジャック・トランスは、あっちの世界の住人が与えた”お仕事”を2度失敗しています。社交クラブへの入会資格は得られなかったんじゃないか?と。
写真に写っているジャック・トランスに似た男は、Welcomeと手を広げているのですが、すぐ後ろにいる男がたしなめるように腕を押さえているのが分かりますか。ジャック・トランスに似た男、もしくは現在のジャックの前世だったかもしれない男だけが、任務を果たせなかったジャックの魂を歓迎し、その他の住人は歓迎していない。そんな風に見えませんか?いつまでも舞踏会を続けるきらびやかなあっちの世界とは別に、ジャックの魂は237号室の女のように、独りでこのホテルを彷徨い続けている。と私は考えたのでした。
いきなり前世、と決めつけてしまいましたが、年代と年齢差から、あり得るよねと思ったので。
前述した、年代の話。映画の現在は、公開年と同じ1980年と考えて、原作の設定ではダニーは5歳、ジャックは想定ですが35歳くらいとすると、生まれは1945年。舞踏会の男は、今のジャックより少し若く見えるから1921年の時30歳として、ジャックが生まれた1945年で没したとしたら54歳。あり得なくはないかなと。でも、この考えはどうでもいいことです。忘れてください(笑)
ではいよいよ、映画「シャイニング」について本当に書きたかったことへ、話を持っていけます。長い長い前振りで申し訳ありません。
《「シャイニング」の画面サイズ》
「シャイニング」は画面比率1:1.66のヨーロピアン・ビスタサイズで上映するのを前提に構図が作られました。ただし撮影は1:1.37(ほぼ3:4)で行われ、上映用プリント制作時に、フレームの上下に黒マスクをかけて、ビスタサイズにしています。アメリカでの劇場公開版(つまり143分版)は1:1.85のビスタサイズでした。
映画作品をノーカットでビデオソフト化するようになった比較的早い時期に、「シャイニング」はソフト化されました。当時ワーナー、FOX、MGM/UAなどハリウッドメジャーの作品は、3:4のテレビサイズに画面をトリミングしてソフト化していました。日本でソフト化された作品は、早い段階で上下黒マスクをかけ、ノートリミング版と銘打ってリリースされましたが、ハリウッドメジャーの作品がノートリミング版を主流にするのはまだ先の話でした。
「シャイニング」の場合も、キューブリックのように自作の扱われ方にいちいち口を出す監督でなければ、自動的にアメリカ公開版1:1.85ビスタサイズの真ん中を1:1.33で切り取ったものがビデオソフト化されていたはずです。キューブリックは、上映用にフレーム上下をマスクする前の撮影段階画面をテレビ鑑賞用バージョンとして指定しました。トリミングで構図を壊されるよりは、撮影時に自分の目で確認したノーマスク版をよしとしたのでしょう。ちなみに「シャイニング」は、フィルムカメラが狙っている画面とほぼ同じものをビデオ&モニターで確認できるシステムを、はじめて撮影に導入した作品らしいです。
冒頭のバードアイ・シーンで、ヘリコプターの回転翼が見えてしまうこと(第二班の仕事ですが)をネットに書いている方がいますが、上映時に画面の上下はカットされる想定だったのを知っておくと、気にならないかと思います。ビデオソフトの解像度ならまだしも、DVDでデジタルリマスターが制作された時、デジタル処理で直してしまえばよかったのに、とは思いました。
ちなみにBlu-ray版「シャイニング」は、3:4ではなくスクリーン上映版のビスタサイズで収録されています。ようやく本来意図された構図でのソフト化です。
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映画の終盤でウェンディが目撃する、熊のぬいぐるみを着た男とタキシードの男は何なの?と聞いてきたA君へ。
Podcast「町山智浩のアメリカ映画特電」9/10upの<全米で大ヒットの『ディストリクト9』はSFアパルトヘイト映画>で、町山さんがちょうどその質問に答えていますよ。
http://www.enterjam.com/tokuden.html
フォローすると、原作に出てくる「犬男」じゃないかということ。
原作の〈第五章・生死の問題〉に、ダニーが目撃する犬の仮装をした男が出てきます。
原作では舞踏会が仮面舞踏会になっていて、「仮面をとれ!」という言葉が繰り返し登場するんですよ。仮面舞踏会に仮装して出るホテルのスタッフなのかも?なのですが、映画では説明的な表現を避けているので、その犬の仮装をした男のことなのか、は分からないんですけどね。熊にしか見えないし。
原作では次のように書かれています。
以下引用「目は小さく、赤かった。なにか銀色っぽい、スパングルを散らした衣装をまとっている。犬の仮装だ。その奇妙な衣装の腰のところからは、先端に玉房のついた、長いぐにゃりとした尻尾がつきでている。衣装の背の部分には、うなじまでくるジッパー。…」S・キング著/深町眞理子訳「シャイニング 下」文春文庫刊より