ホーム > MOVIE, 「シャイニング」考 > 「シャイニング」考 [7]

「シャイニング」考 [7]

2009 年 7 月 30 日 TZK

▼このページの本文へ

「シャイニング」考 Page> |1234567||

映画「シャイニング」で多い話題といえば…

ネットで映画「シャイニング」に触れた文章を読むと、「シャイニング」には143分版と119分版があり、どうして現在119分版のコンチネンタル・バージョンしかリリースしてないのだ!という怒りの意見と、原作者が完成した映画を観て激怒したというエピソードを紹介したものが圧倒的に多いですね。今回私もその一員に加わりました。
でも大好きな映画として「シャイニング」のことを書こうと思った時、文章の核にしようと思ったのは、その2点ではありませんでした。これから書こうとしていることについては、たんに自分が知らなかっただけですでに語られ尽くされていることかもしれません。威張っているわけではなく、ネットで検索してもそのことに言及しているページが見つからなかったので、慎重にならないといけないと思ったわけです。頭から最後まで映画を丁寧に観ていく作業を文章にした上で語らないと、説得力がないと。たんなる勝手な解釈の1つになってしまうと。

というわけで、字幕採録+画面を自分なりに読み取ったト書きによって、映画をテキスト化したわけですが、どうせ面倒なことをするならついでとばかり、143分版と119分版との差違をチェックしていきました。結果、キューブリックが何を捨て何を残したかの再確認ができ、興味深かったです。

「シャイニング」の原作者スティーブン・キングは、人物像を徹底的に描き込むことで、特異な状況に読者を引きずり込んでも感情移入を損なわせない力量が凄い作家です。対してキューブリックは、映像の力を極めることに強迫性人格障害的こだわりを貫いた芸術家です。
先に書いたとおり、「2001年宇宙の旅」に当初入っていたナレーションをまるまるカットしたことで、映画を神格化させることに成功したキューブリック。「シャイニング」も原作的文字性から離れて、純粋にキューブリックの映像創作物として観るべき作品です。映画版「シャイニング」の正式タイトルは現在「Stanley Kubrick’s ‘The Shining’」と表記するようになっています。

Rick Banksのグラフィック・アート

Rick Banksのグラフィック・アート:Download

映画の構造、映画のトリック

1回観たら鑑賞済みリストにチェックを入れておしまい、という消費物とは違うのだよ、とキューブリック作品は無言で語っています。何度も鑑賞し、そこから何かを感じ取りなさいと。仰せの通り、何度も鑑賞しました。そして、はたと気がつきました。映画版「シャイニング」は2部構成になっているということを。映画の尺を二等分した前半・後半という意味ではありません。「シャイニング」の7年後に作られた「フルメタル・ジャケット」のように2部構成になっているのです。

ではどこで映画は区切られているのか。第1部は、ジャックが集中してタイプを打っている時、声をかけてきたウェンディに「タイプ音がしてたら絶対入るな!」とキレた後、再び意識をタイプに集中させるジャックの姿で終わる『火曜日』のエピソードまで。第2部は、雪で覆われたホテルの前庭を追いかけっこをして遊ぶウェンディとダニーを、ホテル内で狂気の顔で見つめるジャックの『木曜日』からラストまでです。

1部と2部の区切り

ジャックが狂気に陥っていく段階が急すぎでは?と、たいていの人が感じるのは、窓の外をじーっと見つめる病的なジャックの顔へゆっくりカメラが寄っていく画面を観た時ですよね。
先ほどこの画面は『木曜日』のエピソードと書きましたが、119分版「コンチネンタル・バージョン」では、『木曜日』のテロップが入りません。テロップが入った場合、前章『火曜日』でのジャックの顔・表情とあまりに違ってしまっていることに、たった2日でこんなに?と違和感を覚えます。ましてや『木曜日』のテロップが入らず、同じ『火曜日』のエピソードとして語られてしまう119分版にいたっては、なにかおかしいと感じるはずです。だって、まだ雪に覆われていないオーバールック・ホテルの外観から始まって、「予報では今夜は雪だそうよ」とウェンディが声をかけてジャックがキレたのに、日中、積もった雪で雪合戦して遊ぶ母子が同じ日として語られるのはおかしいです。ここに時空間的な「段差」が生じているのはあきらかです。

「段差」の直前はどんな画面だったか。冷静な顔つきでタイプライターに向かっているジャックの顔です。映画的文法では、このようなカットの次に「段差」を思わせる展開が入ってきたら、時間経過の大胆な省略もしくは直前に映った人物の頭の中を描いている可能性があります。
つまり第2部は、《冬の間豪雪で閉ざされる古いホテルを舞台に、自分の家族を登場人物に描く、1970年冬に起きたグレーディ家族惨殺事件に題材を取った、ジャック・トランスが執筆中の創作小説の映画化》になっているのです。

ジャックは自分を主人公にしたことで、実際の自分よりも誇張したキャラクターに設定しているようです。だからこの第2部でのジャックは、精神的な病状がすでに進行した状態からはじまり、言動も大げさになっています。ジャックの様子に「段差」を感じるのは当然なのです。ここから映画内映画になっていくのだから。
映画の構造に「段差」を見い出したことで、直線的に映画を観ていって「おや?」とひっかかっていた部分が、まるっと解決しているのにニヤリとしました。当然、超常現象は、ジャックが執筆中の小説の中の出来事です。
雪合戦で遊ぶ母子を1人ホテルで狂気の目で見つめるジャックから、魔物の襲ってくる迷路(屋外迷路+ホテル)から脱出した母子が脱出し、1人ホテルに置き去りにされるジャックで終わる物語。
恐怖映画の恐怖を描く部分が映画内のフィクションだと分かっても、直線的に観ていった場合と同様、恐怖の対象になるのは、超常現象ではなく人間の凶暴性にある点が、「シャイニング」の見事なところです。個々のエピソードに対する感じ方、ラストの解釈が変わるわけではありません。新たな戦慄が1つ加わるだけ。

ジャックの顔から顔へ

どういうことか。実際に起きたことでないから、感情移入が薄まって怖くなくなるかといえば、そんなことはないはずです。不快感や不安感、恐怖感を抱かせる映像手法・音響設計は、これは映画というフィクションであるという前提を越えて、絶妙な効果を与えているからです。
新たな戦慄というのは、この惨劇が、精神を病んだ人間が引き起こしたものでも、亡霊の意志が憑依して引き起こしたものでもなく、正常な人間の頭の中で生まれたダークサイドな妄想だということです。自分の家族を惨殺する妄想。そこに至るのは、日頃積み重なっていった抑制された本音。怖い、と思いました。やっぱり人間は怖いと。
ストーリーを生み出す作業というのは、社会生活を営む己のリミッターを解除して、ダークサイトを吐き出す行為なのかと思い知ります。
クローネンバーグ監督版「裸のランチ」で、主人公が検問員に〈小説家〉であることを証明するため、顔色を変えずに同乗していた妻を射殺するというシーンがつい重なります。小説家とは、それほどの非道さを要するものなのか。そうなのかもしれません。

2 FACE がキーワード

映画が2部構成になっていることに気づいてから、あらためて映画を観直してみると、超常現象がフィクションの中で起きていることがハッキリするだけでなく、この映画の構造を示唆する場面やセリフが浮き出して見えます。

迷路

明確な暗示として描かれているのは、『1カ月後』で屋外迷路の模型を見つめるジャックの部分です。ここで、誰の視点か分からない、真上から迷路を見下ろすイメージが出てきます。その迷路は、模型よりも、迷路の入口に立てられている案内板に描かれているものよりも、遙かに広大で複雑な形状をしています。中央には囚われの身であるかのようにウェンディとダニーが見えます。これは明らかに実景ではなく、心象風景であることが分かります。迷路のようなホテルの内部。ギリシャ神話にある迷宮に棲む怪物ミノタウルス。ここでジャックは、小説の着想を得たんですね。

2つの顔を持つ映画であるヒント、似て異なる2つのものを暗示する部分を挙げましょう。
一つめは、たびたびインサートされる並んで立つ2人の少女。顔も体格も違うのに、同じ洋服を着て、まるで双子のように見えます。
二つめに、『1カ月後』で、ベッドで起き上がるジャックと傍らに座るウェンディが鏡越しに写るのを撮った画面の後、1カットウェンディのアップを挟み、鏡越しでないジャックとウェンディが映る部分。さっき観た映像と2人の位置が左右逆になっているのに戸惑います。同じ人物が左右対称で映像がつながっています。何か意味があるはずだ、でなければこんな学生映画の編集ミスみたいなことするか?と思ったところです(119分版ではカットされていますが)

鏡越しの画

三つめは、2人のグレーディです。「The Golden Room」で開催された1920年代風舞踏会の中、赤い壁の洗面所で”しつけ”を告白したグレーディという男。新聞で顔を見た、家族をぶっ殺した管理人だよな、とジャックが問い詰めますが、はじめに「Delbert Grady?(日本語字幕なし)」とフルネームを聞きます。冒頭の「インタビュー」で、支配人が1970年の事件を話した時、その冬の管理人の名を「…hired a man named Charles Grady as the winter caretaker.(日本語字幕:冬の間の管理人に、グレーディという男を雇った)」と言っています。1970年に事件を起こしたのはチャールズ・グレーディで、1920年代の洗面所で会った男はデルバート・グレーディ。これははじめ、設定把握の欠落によるミスだと思いました。でも、1970年のチャールズ・グレーディ事件を題材に、別のストーリーを作ろうとしているのなら、名前を仮名にするのはあり得ます。

原作者キングの心境を思うに

原作が丁寧に描いてきた家族の愛情と邪悪な存在との戦いを、映画はないがしろにしたというキングの怒りはごもっともです。さらに、このストーリーは自分が創ったものなのに、ジャック・トランスの創作物にされてしまったことに気づいてしまったら?
自分の小説をダメダメな映画にされてしまった悔しさは何本も経験しているはずなのに、「シャイニング」だけ、どうしても自分の作品通りに映像化するまでにこだわった。公開当時は気づかなくても、ビデオの時代になり何度か映画を観ているうちこの構造に気づいたとしたら、激怒を通り越して強い屈辱を感じたのではないでしょうか。
「シャイニング」はキングの長編3作目。映画化が決まった頃は、今ほど大作家の地位を得てはいませんでした。あのキューブリックが映画化に選んだ本の作家となれば、世間の見る目が当然違ってきます。いくら自作を別物に仕立てられたからといっても、知名度を高めるのに映画は一役も二役も買ったはずです。

キングが自ら制作総指揮・脚本を担当したTVシリーズは、キングの感情だけでなくビジネス面が先行したであろうことは察しがつきます。どうせキング作品を映像化するのなら、いわくつきの作品で認知度がある「シャイニング」がいいんじゃないか。原作者のリベンジという面からも説得力ある企画に違いないと。
結果、TV版「シャイニング」は90分×3回=270分という長尺で、原作通りの手応えを感じることができる作品に仕上がりました(CG処理部分は若干安さを感じてしまいますけど)
しかも原作、映画版で、私が気にかかっていたことにも決着をつけてくれました。それはダニーの行く末です。こんな経験をしてトラウマにならないか?ということもありますが、特殊能力をもった聡明なダニーが、青年期に成長したとき、「自分にこんな能力があるのなら、いくら幼かったとはいえ、なぜ父を救ってあげることができなかったか?」という思いに囚われてしまわないかと考えちゃうのです。その答えを、TV版では原作とも違うラストを用意することで、描いてくれたのです。不覚にも涙してしまいました。ホラーを観て涙。なかなかありません。

119分版の価値は?

批評家受けはとてもよかったのに、前作「バリー・リンドン」が興行的に大失敗したことから、なんとしてもリベンジを果たさなくてはならなかった「シャイニング」。結果的に「シャイニング」は批評家受けはボロボロだったのに、興行的には大成功を収めました。「シャイニング」が今ほど高い評価を得るようになったのは、ビデオソフト化された以降のような気がします。80年代後半ホラービデオのブームが起き、山のようなクソ映画が氾濫する中、「シャイニング」の偏差値の高さにみな驚いたのです。
全米公開に先立つプレミア上映では146分だった「シャイニング」を、ラストシークエンスをばっさりカットして143分にしたものが全米公開されました。カットされた、脱出に成功したウェンディとダニーが病院に入院しているところへ、オーバールック・ホテルの支配人が見舞いに訪れるというエピローグは、正直なくてもいいかとは思います。一度は観てみたいですが。
ラストにダニーに向けて黄色いボールが投げられて、そのボールを投げたのは支配人だと分かるところでエンド。黄色いボールの伏線を理解できる観客は、どの程度いたのでしょう?
全米公開の後、イギリス公開にあわせて再編集が行われました。全米公開での観客の反応をみて、興行面のことも考えて。そして多分、アメリカの観客よりも文化面で成熟したヨーロッパで公開するにあたり、説明的な部分の必要性を感じなかったのだと思います。
”全作品を作り直したい。死ぬまでカメラを回し続けたい。無限にショットをつなぎ直したい。”
キューブリックの終わることなき完璧さの追究は、「シャイニング」を119分にまでシェイプアップした<コンチネンタル・バージョン>を生み出しました。先に書いたように、評判はよろしくありません。
改めて143分版と119分版を見比べてみると、テンションがキープしにくい部分と説明的な部分を切り捨て、あきらかに119分版の方が流れにテンポがあります。そして2部構成になっている構造を、ジャックの視点から軸が極力離れないよう、よりシャープに形成しています。
これは143分版を観た後だから、勝手に自分で行間を補間しているからなのかもしれません。それでも私は、キューブリックが<最終版>として世に送り出した119分版「コンチネンタル・バージョン」を、もっと評価していいと思っています。

[6][7]第1稿:2009.7.30

シャイニング (原題:Stanley Kubrick’s ‘The Shining’)
監督:スタンリー・キューブリック 原作:スタンリー・キューブリック/ダイアン・ジョンソン
出演:ジャック・ニコルソン、シェリー・デュヴァル、ダニー・ロイド
1980年/イギリス・アメリカ映画/143分・119分  >>IMDb

▼英国Channel4の<キューブリック特集>TVCM。映画「シャイニング」の撮影現場をステディカムで通り抜けていくと、映画に出てくるあれもこれもそれも出てくる極上のパロディ。

 

「シャイニング」考 Page> |1234567||


Writing is reusable solely under the BY-NC-SA Creative Commons License.

*次回はスティーブン・キングつながりで「ミスト」(2007年)を紹介します。

申し訳ありません。大量のSPAMが来てしまうので、コメント/TBはCLOSEいたしました。

  1. 2009 年 7 月 31 日 20:40 | #1

    TZK様
    コメントありがとうございます。
    BLOGを拝見しました。2部構成&フィクション内フィクションへの言及など「力作」と言える分析/レビューで感服しました。

    当方もある映画についてシーン/カットごとに分析したいとは考えているのですが、体力的・精神的にマイってしまいそうで踏み出せずにいます。

    今後ともよろしくお願いします。

  2. TZK
    2009 年 7 月 31 日 20:52 | #2

    たにがわ様

    コメントをありがとうございます。たにがわ様のBLOGは、映画の魅力を端的な文章で綴っているのが、読んでいて爽快です。こちらこそ今後ともよろしくお願いいたします。

    「シャイニング」は、思わず力が入ってしまいました。
    思い入れの強い作品はたくさんありますが、ここまでやれる作品はないかもしれません。
    たにがわ様の”フィクション内フィクション”という言い方、まさに端的です!

    映画の分析は、作品の内容によっては、精神的にマイってしまうヘヴィーな作業かもしれません。やろう!という勢いがないとかかれませんね(笑)

コメントは受け付けていません。