「シャイニング」考 [2]
ホテル閉鎖の日
山を通る一本の道を自動車が走っていくバードアイ。
自動車の中、ハンドルを握るジャック、助手席のウェンディ、後部座席にいるダニーは、両親の間に顔を出すように身を乗り出している。ウェンディ:(あくびをした後で)まぁ、随分、高い所ね。空気が違うわ。
ダニー:パパ。
ジャック:(前方から目を離さず、ミラーごしにちらっとダニーをみて)YES.
ダニー:(ジャックを見て)おなかがすいた。
ジャック:(ちらとミラーごしにダニーをみてから)朝、ちゃんと食べないからだ。
ウェンディ:ホテルに着いたらね。
ダニー:Okay, Mom.
ウェンディ:ドナー隊が遭難した所ね(とジャックを見る)
ジャック:もっと西だ。シエラ山脈。
ダニー:ドナー隊?
ジャック:幌馬車隊だ。雪に閉じこめられて、ひと冬を過ごしたんだ。そして生きるために人肉を食べた。
ダニー:仲間の肉を食べたの?(ウェンディもまたジャックの方を見る)
ジャック:(頷いてから)そうさ、生きるためだ。
ウェンディ:やめて。
ダニー:いいんだ。知ってるよ、テレビで見たもの。
ジャック:(賢い息子に思わず笑顔になり)話したって平気さ。どうせテレビで見てる。
ウェンディも笑顔になり、雲がかかる山の中を走る自動車のバードアイにディゾルブする。
家族でホテルに到着したトランス一家を、支配人、料理主任ハロランらがホテル内を案内して歩きます。ここの案内してまわる展開は、119分版ではかなりすっきり短くまとめられています。ストーリー上あまり重要ではないので採録は端折りますが、前庭を案内する支配人からホテルに関する情報が補足される下りは重要なので、字幕をぬいていきます。
支配人:名物の迷路だ。垣の高さが4メートルある。ホテルを建てた時に作った。出るのに1時間はかかる。
ウェンディ:ホテルはいつ?
支配人:1907年に着工して2年後に完成した。前は先住民族の墓地だった。建築中、彼らに襲われたそうだ。雪上車だ。車の運転は?
をいをい、先住民族の墓地に建てるなよ!って突っ込みたくなりますよね。(コロラド州は先住民族:アメリカン・インディアンが何千年も生活していた土地でした)
そうでなくても人の残像思念が籠もりやすいホテルという場所。ホテルでなくても心霊現象が起きやすい先住民族墓地の跡地。ところがキューブリックは、原作のオカルト的要素を確信犯で精神病理学的な解釈が可能なようにも表現しているんですね。主観描写と客観描写を使い分けて。
この手法、のちに悪魔払いをめぐる裁判を描いた「エミリー・ローズ」という映画でも使われてます。どうみたって悪魔が憑いているとしか思えない少女の異様な体験を、オカルト現象の主観描写と精神疾患ともとれる客観描写で使い分けていました。
では「シャイニング」に描かれているオカルト的シーンはすべて妄想か?というと、そうではないと思います。この点についてはまた後ほど。
このパートで重要なのは、黒人で料理主任のハロランとダニーとの会話から、2人が互いに〈シャイニング〉という予知能力の持ち主であり、この能力はダニーだけが持っているのではなく、遺伝する能力だと分かること。そしてこのホテルには何かよくないものがあることを、お互い分かっているということ。
ダニーが重い口を開いてトニーのことを話したあと、「この”展望ホテル”のことは何か見た?」とハロランは尋ねます。ハロランは1970年の冬に起きた管理人が家族を惨殺した事件のことを言っているのでしょう。こういう説明の仕方をします。「つまり何かあると、その跡が残るものだ。トースト1枚焼いても、においが残る。出来事によっては特別の跡を残すこともある。」
するとダニーが「ハロランさん、237号室には何があるの?」とあどけなく聞いてきます。
「何もない。237号室には何もない。あんな部屋に用はない。だから近寄るな。いいか、入ってはいけない。」あきらかにハロランはそこに何があるか知ってる言い方です。
同じ能力を持った同士の絆だけでなく、良くないことが起きそうなのにホテルに置いてきてしまった後悔もあったから、バケーション中なのにダニーの発するHELPをキャッチしたハロランは、豪雪で孤立したホテルに出向く強い動機となったのでしょう。
タイトルともなっている「シャイニング」という能力について、もっと深掘りすべきでは?とは思います。しかしキングが原作のジャックに込めた自身の投影が父性であるのに対して、キューブリックが映画のジャックに込めた自身の投影は、創作に対する途方もないストレスと狂気なのでしょう。フォーカスはあくまでジャックと閉鎖空間。その他の要素はまさにエッセンスを抽出したもの、という存在。人間描写が薄すぎるという批判はごもっともだと自分も感じます。でも何に対してそう感じるかと言えば、人間描写を事細かに描き込むことで作品世界を作り上げていくキングの原作に対してです。それは比較にならないんじゃ?
とは申しましても完璧主義者のキューブリックですよ。ある完全なカタチを求めて何度もテイクを重ねて撮影し、何度も編集をやりなおしている偏執狂的映画作家ですよ。言葉で人間の内面を掘り下げる小説と映画の違いを、はっきり分けたことは明白です。
映画という表現手段を用いて、生け花のように、このバランスがもっともいいとする美意識があったはず。ならば薄いと見える人物描写にも、なにかぱっと見では分からない意味を重ね合わせているかもしれません。
とくにこの映画でよく言われるのが、ジャックがおかしくなっていくのが急すぎじゃ?という点。そのジャックがおかしくなる分岐点直前となる「1カ月後」パートを細かくみていきましょう。
1カ月後
ウェンディがルームサービス用カートに朝食を乗せて、調理室からロビーを通り、寝室にやってくる。(119分版では寝室に入ってくるところから)
まだ寝ているジャックに「朝食よ」と声をかける。
寝室の入口脇に置かれた鏡台の鏡ごしに、ジャック起き上がるのが見える
カメラはゆっくりその鏡に寄っていき、ジャックとベッドサイドに座るウェンディの会話を写し取る。ウェンディ:いいお天気よ。あとで散歩に行かない?
ジャック:ジャック:それより早く新作を書きたい。
ウェンディ:構想は?
ジャック:いろいろ考えたが、ダメだ。
ウェンディ:でも大丈夫。書く習慣を取り戻すといいわ。
ジャック:(ウェンディに向かって笑顔をつくり)そうだね。そうしよう。/──119分版ではここからカット──/
ウェンディ:すてきな所ね(夫婦の会話にしては急によそよそしさを感じる)
──ウェンディのアップになる。
ジャック:そうだね、本当にそう思う。よそでは味わえない幸福だ。
ウェンディ:こんな広い所でもすぐ慣れるものね。来たころは、何だかうす気味悪かったわ。──ここで画面は鏡越しでないジャックとウェンディの2ショットに切り替わる。1つ前のカットと位置が左右逆になったことに戸惑いを覚える。
ジャック:すぐ気に入った。初めて面接に来た時、昔、来たことがあるような気がした。誰でもそんなことがあるが、おれのは極端だった。どこに何があるかも覚えてる気がした。(おどけてウェンディに向かい2人とも軽く笑う)
/──カットここまで──/

なにか打ち付ける音とともに、タイプライターのアップへディゾルブする。
タイプライターに差し挟まれた原稿用紙には、何も打ち込まれていない。右脇には灰皿があり、たばこの煙が立ち上っている。
カメラがどんどん引いていき部屋全体を見渡せるようになると、そこがホテルのロビーで、さっきから不快に響く打ち付ける音は、ジャックが壁にボールをうちつけている音だとわかる。
ジャックは子どものようにひたすら壁にボールを打ち付け、キャッチボールをしている。
/──119分版ではカット──/打ち付けている先は、大きな暖炉の上、インディアンのような絵柄が描かれた木目の壁だ。
ディゾルブでホテルの外。ウェンディとダニーが2人仲良く迷路に向かってる。
ウェンディ:負けた方がお掃除よ(駆け足のダニーのあとをウェンディが小走りで追っていく)ほら、つかまえるわよ。2人は生け垣で作られた巨大迷路の中に入っていく。
迷路の中を2人並んで歩きながら「ダニーの勝ちよ。もう歩きましょう」とさまよい歩く2人。
直線に手入れされた生け垣を見渡しながら、「きれいね」「だね」とたわいもない会話。
角を曲がって角を曲がって…「行き止まり」と2人して笑いあう。
その頃ロビーにいるジャックは、ボールを床に強くたたきつけ、跳ね返ったボールを今度はロビーの奥へ放り投げる。そして何気なくロビー窓際に置かれた巨大迷路の箱庭に近づく。
迷路の箱庭をはるか上空から地上を眺めるような顔で見つめている。
迷路を真上から見た画面に切り替わる。ゆっくり中央に寄っていくと、そこにはウェンディとダニーの姿が動いて見える。2人の声も聞こえてくる。「すごい迷路ね。きれいでしょ」不安な音楽がだんだんと高まっていく。
画面は迷路の中を歩くちょっと疲れたという感じの2人に変わる。
「こんなに大きいと思った?」「ううん」
高まった音楽が絶頂になったところで、「火曜日」のテロップ。
1カ月経って生活には慣れたのに、ジャックの新作は一向に進んでいないようです。ストレスなどない大自然と快適な住空間があるのに、焦燥感が募ってきます。反してウェンディとダニーは、新しい環境の生活を受け入れて楽しもうとしています。「気楽だな、おまえら…」迷路の箱庭を見下ろすジャックの不気味な無表情はそう語っているようでした。それはまるで、ここに来るときにはまっすぐ見えていたはずの理想的な生活が、迷路のような混沌に陥ってるのを客観的な自分が眺めているようでもあります。
キングの原作では生け垣を刈り込んで作られた動物が襲ってくるのですが、それをそのまま映像化するとなったら、エイゼンシュテインの比喩的モンタージュ理論のパロディみたく見せるか、安っぽいモンスターものになってしまうかですよね。脳のシワのような生け垣の迷路は、ジャックの精神状態とホテル内部の構造を暗示する、極めて映画的なシンボルとなりました。

生け垣の迷路の模型を眺めるジャック。画面展開は1→2→3と続くが、3の迷路は、1で見ている模型や4の迷路入口にある案内図よりも、かなり広大で複雑だ。真上から迷路を見下ろすという誰の視点でもない映像は、ジャックの心象風景で実景でないことが分かる。
このパートにある119分版との差違について。
朝食をベッドに運んできたウェンディとジャックの会話。ジャックの「そうだね、そうしよう」ですぐにタイプライターのアップにつながります。鏡台の鏡にうつった像がつぎに実像にかわり、2人の位置関係が左右反転してしまったように感じる部分はカット。
これキューブリックでなかったら、学生映画がやりそうな編集ミスにしか思えない部分です。2人の位置関係が左右反転してみえてしまうのは。でも意味があると思うんですよ。だってとても重要なことを言ってます。昔来たことがあって、どこになにがあるかも知ってる感じがしたって。ジャックのこの既視感は何を意味してるのか。現実と鏡像が左右対称のようにつながっていることは、これから起こることの暗示になってませんか。
火曜日
オーバールック・ホテルにはまだ雪が降っていない。
//──119分版ではカット──//
調理室で小さなテレビをつけながら大きなスープの缶詰を開けてボールにあけるウェンディ。「明日は吹雪のもようです。デンバーは快晴なのに、山は雪ですか。<中略>コロラドも間もなく冬に一足とびです」テレビから流れる声に聞き入るウェンディ。
//──カットここまで──//

ホテルの廊下を三輪車で走るダニー。低い位置にカメラを置いたステディカム撮影。ブレずにスムーズな移動撮影を可能にしたステディカムを〈本格的〉に導入した最初の作品として「シャイニング」は知られています。ここではステディカムを開発したギャレット・ブラウン自身がカメラ・オペレートをしているので、車イスを使ってステディカムを低い位置にセットする工夫が行われたそうです。まるで霊体の視線のように浮遊しながら対象物を追っていく画面は、公開当時かなりのインパクトでした。レールが敷かれてないのに、なんでこんなスムーズな移動撮影が!?ってね。
この廊下を三輪車で走るダニーのシーンは、視線だけでなく音も気持ち悪い、というか神経を逆なでする効果を与えています。絨毯が敷かれた部分を通過する時は無音なのに、そうでない部分はプラスティックのタイヤの音がゴゴゴと響くのです。それが繰り返される。その不快さと相まって、廊下の角を曲がる度、なにか現れやしないかと心拍数があがります。しかもずーっと1カットでいつまでも追っていて、緊張感が否応なしに高められてしまいます。
ハロランから「だから近寄るな。いいか、入ってはいけない。」と言われていたのに、237号室のドアの前で止まり、じっとその数字を見つめるダニー。好奇心が頭をもたげてくる。不安を煽る音楽が流れる。三輪車から降りおそるおそるドアの前まで行き、ドアノブに手をかけひねってみるがロックされていて開かない。
一瞬、並んで立つ2人の少女のイメージがインサート。
ダニーは三輪車にまたがり、ドアの237というプレートからなかなか目を離せないでいるが、振り切るように顔を下に向け一気に走り去っていく。
間接照明が美しいホテル・ロビーで、タイプライターに向かっているジャックへゆっくりとカメラが近づいていく。軽快にタイプを打つ音が響く。真剣な表情のジャック。
ロビーの右奥から人影が近づいてくる。近づいてくるとウェンディだとわかる(当然だけど)
「ハイ、ハニー」と気軽に声をかける。タイプを打つ音が止まる。「調子は?」
三輪車のダニーのシーンからずっと流れていた不安な音楽が、ジャックがタイプから紙を抜き取るところでピークとなって鳴りやむ。顔を向けるジャックにウェンディが軽くキスをする。ウェンディ:はかどった?
ジャック:(力なく)YES.
ウェンディ:予報では今夜は雪だそうよ。
ジャック:(我慢を堪えてるような笑顔)だからどうした?
ウェンディ:あら、あなた、からまないで。
ジャック:からんでないさ。早く本を書き上げたいだけだ。(右の手のひらを上に向け、訴えるように力を込めて降る。表情にも怒りを抑えた笑顔を見せつつ、顔をそむける)
ウェンディ:(ジャックの予想外の反応にぼぉっとして)分かったわ、あとでサンドイッチを持ってくる。その時、読ませて。
ジャック:(ウェンディの方を「何いってるんだこの女」って顔でみて)ウェンディ(咳払い)はっきり言っとく。君が来る度に仕事が中断される。気が散るんだ。(手で自分のでおでこをパンっと叩く)元に戻るまで時間がかかる。(もってた紙を2つにやぶいてぐちゃぐちゃにする)分かったか。
ウェンディ:(無言で、ただ頷く)
ジャック:(明らかに怒った顔で)よし、では新しいルールを作ろう。ここでタイプの音がしたり、(といって見せつけるようにタイプを叩いてみせる)何かしている気配がしたら、おれが仕事してるんだ。絶対入るな!やれるか?
ウェンディ:(人形のような無表情で小声で)ええ。
ジャック:すぐやれ。さっさと出てけ(といって右手で出口を指す)
ウェンディ:(小声で、少し怯えたように)ええ。
──ウェンディ、足早に元来た通路を通って、ロビーから消えていく。
ジャック:(その様子をじっと見つめたあとタイプに視線をもどし、集中した顔で再びタイプを打ちはじめる。傍らには資料らしきスクラップブックが開かれて置いてある)
ジャックは神経質になっています。
俺には仕事がある。邪魔をするな!のらくら過ごしてるお前らとは違うんだよ!
同居人がいればよくあることなんですけどね。テキストを打ってる時は話しかけるな。気が散って考えがまとまらなくなるだろ、って。
ウェンディはジャックのリアクションが予想外だったようで呆気にとられています。今までの結婚生活でも見せたことのないジャックの一面だったのでしょう。でも怒りを表したジャックの表情は、妙に豊かで生き生きしています。今までのジャックは、対外的にしっかりした人物・いい夫・いい父親であろうとして抑圧されていたんだというのに気づいてしまうシーンです。
木曜日
//──119分版では「木曜日」のテロップがカット──//
粉雪の中、すっかり雪で覆われたオーバールック・ホテルの前庭を、母子が楽しそうに追いかけっこをしている。そこへ、キーンという耳を突き刺すようなノイズが被さってくる。そのノイズは、ロビーに立って窓の外を見つめるジャックの姿とともに強くなっていく。ジャックの顔には明らかに正常ではない何かを指し示す兆候がみられる。どんどん顔にズームインしていくカメラ。まばたきせず見つめる目は微妙に上方へ視線を動かす。半開きの口は、ほんのわずかだが笑みを感じさせる。
突き刺すようなノイズはそのまま強くなっていき、次章「土曜日」のテロップが出る。

台詞のない「木曜日」は、時間的に短いながらも、狂気を見て取れるジャックの顔が強烈な印象を残し、ここが分岐点なのだと分かります。雪が降っている外で遊ぶ母と子、ホテルの中にいる父、この図式はそのままラストにつながるものでもあります。上目遣いで静止しているジャックの顔も。
《237号室についてのトリビア》
ダニーが不穏なものを感じている「237号室」は、原作では「217号室」です。なぜルームナンバーをわざわざ変更する必要があったのでしょう。それは、この映画のオーバールック・ホテルの外観として使用されたオレゴンのティンバー・ライン・ロッジから、映画公開後、幽霊の出る部屋として「217号室」にお客さんが泊まりたがらなくなるのでは?という危惧があり、キューブリックがティンバー・ライン・ロッジに存在しない「237号室」へ変更したらしいです。
Writing is reusable solely under the BY-NC-SA Creative Commons License.


最新のコメント/トラックバック