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映画『エンゼル・ハート』を読む[8]

2009 年 9 月 12 日 TZK

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『エンゼル・ハート』のストーリーを、字幕と〈画面〉から私が読み取った内容で、追っていきます。いよいよラストです。
このページはネタバレになります。

認識票がすべての証拠

暗く激しい雨が降る中、車を走らせるハリー。ブレーキをかけずに角を曲がり、急停止で車を停めると、ある建物の中に駆けていく。
真っ暗な螺旋階段を駆け上がりつつ、銃を取り出すハリー。
警察の立ち入り禁止テープで封鎖されているドア。そのテープを引っ張り取ると、片手に銃を持ったままドアから入っていく。

マーガレットの部屋のドアを、足で蹴って開く。気が焦って何かを探しているハリー。テーブルや家具の上にのっているものを、次々かき乱していく。落としたレコードの上を踏みつけレコードを割ったことも、そこに銃を落としたことも気付いていないようだ。
以前この部屋に侵入した時に見つけた〈栄光の手〉が入った箱の近くに、ボーリング・ピンのような香水瓶が倒されて置いてある。たしかこの瓶を振った時、何か入っていた音がしたはず。
両手で瓶を掴んで振ってみると、確かに何か固いものが入っている。
洗面台がある場所まで後ずさっていくと、洗面ボウルの中に瓶を叩きつけて破壊する。砕け散った瓶の欠片を選り分けていくと、底の方から軍の認識票が現れた。チェーンの部分をつまみ上げ、認識票を両手でしっかりと持って名前を見る。

「ANGEL HAROLD」の名が刻みこまれている。
*「HARRY」は「HAROLD」の愛称です。

指で刻まれた名前の凹凸を確かめるようになぞってみる。
ハリーは目を落とし、息を吐き出す。涙がこみ上げてくるのをおさえ、一度天を見上げてから、再び認識票に目を落とす。見間違いではない、たしかに「ANGEL HAROLD」の名が刻みこまれている。
「…おお」小さく声が漏れ、すべての感情が爆発したかのように顔を崩し、声を荒げ泣き声のまま絶望の叫びをあげる。
雷鳴が響き、杖を持つ尖った爪を持つ手、そして長い髪をおろしたサイファーの顔が映る。
ハリーの泣き叫ぶ声が部屋中に響く。「自分が誰か分かったぞ!畜生!」
認識票を持ったまま、よろよろと力なく歩き出すハリー。
サイファーはふんぞり返ってソファに座っている。顔には微笑みが浮かんでいる。
ハリーは両腕を開いてドアの縁に手をつき、ようやく体を支えている。そこへ「どうだ」という声がかかる。声にはっとして顔をあげた瞬間、雷鳴が再び轟く。

満面の笑顔でソファーの端に座り、ハリーを迎えるサイファー。
「小ざかしさが、いかに空しいか、分かったろう」
ハリーは、すべてを悟ったという顔になる。ゆっくり口を開き、言葉を置いていく。「ルイス・サイファー…。ルシファー〈魔王〉。名前まで安っぽい冗談だ。」
満面の笑みのままルシファーが答える。「”メフィストフェレス”は言いにくい」
涙で潤んだ目をルシファーに向けたハリー、取り乱すまいと強気を装う。「あんたは悪魔らしく装って、迷信深いギター弾きを怖がらせたり、巫女や老人を脅せるだろうが、ぼくは怖がらない。自分が誰か分かってるから。あんたは殺しもぼくの仕業に見せようとした」
睨みつけているルシファーに、ハリーの声がかぶさる。「それも無駄さ」
「私に尻尾でもあれば信じるのかな?」
「ばからしい。ぼくを罪に落とすつもりか。サイファー、そうはいかないぞ。みんなを殺したのはあんただ!」
ハリーの言葉を聞きながら、サイファーは笑いがこみ上げてくる。
「ぼくはファウラーもトゥーツも殺してない。マーガレットもその父親も殺しちゃいないんだ」声には嗚咽が混ざり合っている。
サイファーはきっとハリーを睨みつける。「君だよ、ジョニー」
「ジョニーじゃない!」
「君の手で殺したのだ。もちろん私が導いた。君があの兵隊を切り裂いた時、運命は決まった」
ハリーは意識が遠のきそうになりながら、認識票を見つめる。サイファーはつづける。
「この12年、君は他人の記憶で仮に生きてきた」
ハリーは認識票を力なくぽろっと床に落とす。落ちた認識票にサイファーが目をやる。
ハリーは、もう笑うしかないという顔に変わる。「弁護士のワインサップは?」
「あの弁護士は死んだ。ひどい事故で」
ハリーはサイファーの前を横切り、大きな鏡がはめ込まれた壁の前に立つと、鏡の中の自分を見つめる。
「でも弁護士などいくらでもいるさ。死など日常だよ、ジョニー」
鏡に写るハリーの目は潤み、死人のように蒼白い顔になっている。左半分は影で暗くなっている。
サイファーは勝ち誇ったような笑みをたたえて語る。「人間の命の値打ちは?愛や憎しみが生きがいなのかな?肉体は弱いものだ、ジョニー。魂だけが不滅だ」
魂がぬけたようになったハリーは、かすかに顔を横に振る。
ジョニーを厳しい目でみつめるサイファー。
振り返るハリー。
サイファーの目は金色に輝き、長い爪でハリーを指さす。「お前の魂は私のものだ」

唇を噛みしめ、嗚咽でなかなか言葉が出ないハリー。「分かっている…」
サイファーは床に落ちたレコードを拾いあげる。「そうとも、ジョニー、よく見ろ」レコードを片手に持ち、近くに落ちているピストルも拾い上げる。「鏡に映る自分の姿からは逃げることはできない」
ハリーは泣きつづけている。「分かってる。自分が誰か」
サイファーは拾い上げたレコードを蓄音機にかける。華やかなダンスミュージックが部屋に流れはじめる。そして、床に落ちた認識票のチェーンを長い爪ですくいあげる。

──ピストルを構えるハリー、ファウラーは驚いた顔で両手をあげる。
泣き続けるハリー。
──左目を撃ち抜かれたファウラー医師の顔。
泣き続けるハリー。
──先が弧になった短剣の刃先を、両手で下に向けるハリー。
泣きながら首を横に振るハリー。
──その刃先を勢いよく下に振り下ろす。
泣きながら首を横に振るハリー。目を開いていられない。
──引き裂かれて倒れるマーガレット。
──トゥーツの首を左手で掴み、右手で剃刀を顔に近づける。
──血だらけの剃刀を右手にもち、指の間にはさんだ煙草を一服する。
──頭が真っ赤になった紳士の顔を釜につっこむ。
ハリーは崩れた泣き顔で叫ぶ「分かってる!」
レコードの音楽は流れつづけている。
──エピファニーが首を絞められて、叫んでいる。
呆然としているハリー。
──叫びつづけるエピファニー。

ハリーは呆けて自分の顔を見つめている。
はっと振り返る。
サイファーの姿は消えている。
ふと銃がないことに気づき、散乱した床を探ってみるがない。
やばい。あわてて部屋を出て、落ちるような勢いで階段を降りていく。
誰もいない雨が降りしきる薄暮の道を、力を振り絞って走っていく。
レコードの曲はここまで流れつづけていた。

すべての謎が解明されました。サイファーがハリーにジョニー捜しを依頼したのは、この瞬間を得るためのゲームだったのです。だから、いつもサイファーはほくそ笑んでいた。「まだ分からないのかな?」というように。

ハリーがマーガレットの部屋に向かう時の、薄暗さと激しい雨がいいですね。ハリーの心の中を象徴的に描き出す状況設定です。
ハリーが捜していたものは、マーガレットが預かっていた、いけにえとなった兵隊の認識票です。化粧瓶を割り、認識票を取り出し、絶望を決定的なものにする「名前」を確認するハリーの心情を、ミッキー・ロークの抑えたリアルな演技に心奪われちゃいます。もうすでにあきらめていたとはいえ、目にした名前から一度目をそらし、再び刻みこまれた名前に目を落として、変わらぬ現実の残酷さに打ちのめされる姿。
はじめから、この瞬間のために踊らされていたハリー。そして観客もまた、この瞬間のため、映画による一人称小説とも呼べる手法──すべてのシークエンスに必ずハリーが登場し、あらゆる出来事も彼を軸に把握し、さまざまな表情を目にしていくことで、人間として共感を得られるよう仕組まれていたのです。
身近な大人の男が、絶望に泣き叫ぶ顔って、そう目にするものではありません。今、それを目にしているのです。なんの同情もできないけれど、痛ましさの感情だけが脳に突き刺さります。

そもそも『エンゼル・ハート』のストーリーは、スターを夢見る野心的な男が、悪魔信仰をする父娘と出会い、魂を魔王に売り渡すことで夢を実現させたのだが、その契約を反故しようと若い兵隊の魂を盗んで乗り移ろうとしていたものの、その前に戦争に召集されてしまい、記憶喪失で帰ってきたという、ジョニーの破天荒な人生とマーガレットの悲恋の〈後日談〉なんですよね。
なのに12年経って、マーガレットは、ハリーという人格が支配し、顔を整形で別人にされた、元婚約者ジョニーの体をもった男に殺されたのです。もっとも痛ましいのは、マーガレットかもしれません。

魔王を召喚できるほどの力を持っていたジョニーが、記憶喪失に陥るほどの戦地の経験とは、どのようなものだったのでしょう。記憶喪失の間は、ジョニーの人格は奥深くにしまわれ、いけにえとなったハリーの人格が表に押し出されるという、人格交代の無政府状態だったと勝手に解釈しました。
ハリーの人格にとっては、あの儀式のことさえ記憶から抹消されれば、一生ハリー・エンジェルとして生きていけるのです。それは結果的に、ジョニーがいけにえの兵隊に乗り移るという企ての成功を意味します。人格が奥にしまわれるという手法が望んだことかどうか分かりませんが。
ハリーの痛ましさは、奥に潜んでいたジョニーの人格を認め、彼の罪を一緒にかぶるハメになってしまったことです。ジョニーとマーガレット2人のストーリーとは無関係な人間だったのに巻き込まれたあげくに。いけにえに選ばれてしまったことよりも、ハリーとして生きていける可能性を奪われた今の方が遙かに残酷かもしれません。

最後の最後に、ハリーの中で、ジョニーの関係者を殺したのは自分である記憶が甦ってきます。
自分が誰かは分かっても、彼らを殺したのはルシファーの仕業だと確信していました。「もちろん私が導いた」とルシファーが言う通り、このゲームを面白くするために、死体に象徴的な意味を加えたのが、ルシファーだった可能性はアリですね。
だから、すべてがハリーの仕業か?というと違うと思います。マーガレットの父親を煮え立つ釜に突っ込んだのはハリーではないですからね。
そして、鏡に向かって泣き続けるハリーの背後で、ルシファーはハリーの認識票と銃を拾い上げ、ゲームを終わらせる最後の犠牲者を作りに行くのです。

ところで、ルシファーの目が金色に変わる画面。地味なのですが、けっこうインパクトがありました。
目が金色になって〈魔物〉とわかるラストといえば、マイケル・ジャクソンの『スリラー』が有名ですよね。『スリラー』の方が『エンゼル・ハート』公開より5年早いので、ここでやったらパクリ?と思われるのは承知の上なのでしょう。ここでいきなりスペシャルメイクによる悪魔顔のロバート・デニーロが出てきたら、それまでのハードボイルドタッチが台無しになってしまう可能性があったのかもしれません。

人間としての罰

中庭に噴水がある石造りのアーチが特徴的な回廊がある建物。
雷鳴が響く。
ハリーが自分の部屋へ向かっている。
通路の右側に黒づくめの服をきた人物が、椅子に座って膝の上に洗面器を乗せている。その人物の前をよたよたとハリーが通り過ぎる。黒ずくめの人物の顔が見える。男だ。

びしょ濡れで目を腫らしたハリーが部屋に入ってくる。
ベッドの上には、下半身が血で染まったシーツをかけられたエピファニーが横たわっており、傍らに立っていたふとった刑事がハリーに気がついた。「なぜ戻った?」
ハリーは無表情でただ呆然として立っている。
エピファニーの脇毛を隠すように、ハリーの認識票がかけられている。
ハリーは無表情のまま、しばらく言葉をためてから「自分の部屋だ」とだけ。
左目から涙がこぼれ落ちる。
そんなハリーにふとった刑事が尋ねる「この娘は?」ハリーの認識票を手に持って「こいつが天使〈エンゼル〉とはな」
ハリーはなんとか感情をつくりだそうとして「ぼくの娘だ」
「ウソつくな。誰なんだ」
「エピファニー・プラウドフット。ここに泊まったんだ」
刑事は彼女の死体を見てからハリーに向かって「お前が殺したな?股ぐらに撃ちこんで」
無表情のハリーの顔は、影が落ちてほとんど表情がみえない。
バスカーテンを開けて、若い刑事がエピファニーの子どもを抱いて出てくる。
目に涙をためて、その子供に希望を見たような思いになるハリー。
抱いた子どもをどうしていいか迷っている若い刑事。
いとおしそうに子供を見つめるハリー。
ふとった刑事が感情を込めずにハリーに言う。「電気で焼かれるぞ」
目を涙で腫らしたハリーは、力なくうなずく。「分かっている」
そして「地獄でな」と子どもに言葉をかける。
子どもの目は、サイファーのように金色に光り、ハリーを指さす。

アコーデオン式エレベーターの扉が勢いよく閉じる。影が壁に長い影をおとす。
エレベーターの中にいるハリー。エレベーターは下降している。

エピファニーを殺したのは、ハリーでなくルシファーでした。拾い上げた認識票と銃を使って、象徴的なデコレーションを死体に施して。股ぐらを銃で撃ち込んだのは、父親と性交した罰でしょうか。ハリーがジョニーだと気づいた後なのに、なぜ彼女は殺されなければならなかったか。それは契約通りジョニーの魂を徴収するのに、ハリーを殺人事件の犯人として死刑にさせるためですね。
魔王の力で魂をその場で奪うのではなく、持って回った方法で、人間としての罰を受けて死刑になるよう仕組んだのは、ルシファーにとってこれはゲームだったんだな、とわかる結末です。

しかし、映画がエンドクレジットに突入する直前で、ルシファーのゲーム・シナリオにないジョニーの勝利を見せられます。皮肉なことに、儀式などという持って回った方法でなく、子孫を残すというオーソドックスな方法で、ジョニーのDNAがエピファニーの息子に引き継がれていたのです。
この子を守るため、また娘のエピファニーと接触させないように、ジョニーの人格は、ハリーをニワトリ嫌いにさせて、ブードゥーから遠ざけようとしていたんじゃないでしょうか。

何度も何度も幻想シーンで登場してきた、下降していくエレベーターに乗るハリーが、エンドクレジットの間にカットインされていきます。どこまでもどこまでも下降していくエレベーター。「地獄でな」そう孫へ言い残した通り、このエレベーターはハリー・エンゼルを地獄に堕としていく檻だったんですね。
そしてこれが、原作のタイトルともなっている『墜ちた天使』となるわけです。
キリスト教における堕天使の設定とダブル・ミーニングです。
映画のタイトル『エンゼル・ハート』は、〈ハリー・エンゼル〉の〈心臓〉という直球な意味になるのですが、映画を観るまでは、もっとシンボリックな意味をイメージしてしまう罠ですね。

最後に、このシークエンスで分かることがもう一つあります。全身黒づくめの人の正体です。
はじめは、ハリーがサイファーと面会する前に見かけた、夫が拳銃自殺した部屋の血を洗い流す女性が、なにかの象徴として幻影の中に現れるのだと思っていましたが…。意外にも男性でした。
一瞬しか映りませんが、彼、ジョニー・フェイバリットじゃないでしょうか。ハリーが「タイムズ」の女編集者から取り寄せた、ジョニーのプロマイドにあった顔にどことなく似ている気がします。あくまで私の思いこみですが。
人格の実体化。だからハリーが触れようとすると、防衛本能も働いて触れられなかったんですね。2人の人格は一緒になってはならないという警告のために。

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