[前ページから〜]映画の後半。いい子ちゃんだったブロンド女性は、急にワイルドでクールな姿に変身。グラマラスな記憶喪失女性は、カミーラという名前の売れっ子女優に。世界の次元が前半からシフトしている。登場人物は同じだが、役割と世界観が設定変更されている。
続いているのは、映画監督アダムが映画を作っていることと、2人の女性が肉体関係にあるということだ。その2人の関係が終わりに近づいている。
後半はブロンド女性の側から、女優カミーラへのラヴ&リスペクトと他人に奪われる嫉妬心を淡々と描いていく。やがてカミーラを誰にも奪われたくない気持ちから、街のチンピラ男に殺しを依頼することから、魔術が発動される…。
この映画、1回観ただけでは、なにか見落としているのではと思ってしまう。だけど、画面からストレートに僕が受けた解釈はこういうものだ。
後半の現実世界で、恋人を奪われ女優としても芽が出なかったブロンド女性が、恋人の死とともに自分も命を絶ち、この世で実現できなかった理想の2人の関係を、ハリウッドに自分がやってきたスタート時点からやりなおす世界を見せたのが前半部なのだと。死者のみた夢…。エイドリアン・ライン監督の「ジェイコブズ・ラダー」のような映画体験。
だから前半部の自分は、素性のいい女性らしい女性になっている。2人の関係を完璧にするために、自分も理想化する。そしてリセットされたシチュエーションを作るために、相手を記憶喪失に設定する。自分が男として彼女をモノにするのではなく、完璧な女性である上で彼女をモノにしていく叶えられなかった願望が切なくなってくる。
そして、ポイントマークさせておいたあの歌だ。切ない愛の歌。瓜二つの姿で並んで聴き入る2人のアップが、映画のラストで一気に脳裏でチャプタージャンプされ、僕は目頭が熱くなった。
元々テレビシリーズのパイロットとして作られたものに、追加撮影されて1本の映画となった作品。だから、シリーズ化のために用意したであろういくつかのエピソードが、謎は謎のままで前半の<妄想バージョン>世界に取り込まれている。
それは「夢で逢いましょう」的スイートな内容を、さすがにリンチは描かないということで、納得できちゃうから得だね。
これは、僕の解釈。前半を現実、後半を劇場の出し物の続きで見せられる<別の世界>という解釈もあるかもしれない。でも僕は自分の解釈で十分すぎる感銘をうけたから、これでいいとするよ。
追記だけど、映画監督アダムのキャラクターがけっこう気に入った。表情のいい役者だね、他の出演作を気にしていこうかな。(渋谷東急3)
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