98年の夏。その欲求は唐突に訪れた。デビッド・ボウイーの音楽を浴びたい…。
考えてみると、純粋に音楽としてボウイーを欲したのは、これが初めてだったように思う。
デビッド・ボウイーというアーティストを構成する幾層ものレイヤーは、音楽だけを切り離して聴かせてはくれなかったからだ。
ロックというフィールドの中で、常に変化と虚像を創りあげてきた荒ぶる神、デビッド・ボウイー。
彼が時代の岬に突き刺してきた音楽は、痛さを伴って耳に残っていたような記憶があったのだが、今は単純に好きな音楽として聞き流すことができる。変わったものだ。何が?自分が?時代が?
それから間もなくして、グラム・ロックが再びブームになっていることを知った。マリリン・マンソンがボウイーの「ゴールデン・イヤーズ」をカヴァーして、ラジオから聞こえてきたのに驚いたものだ。
伝説と化した「ジギー・スターダスト」時代のボウイーをモデルにした映画「ベルベット・アンダーマイン」が、間もなく公開される。
ビジュアル系バンドの元祖などという捉え方をされてしまった、ヒーロー不在のグラム・ブーム。ヒーローの立つべき場所にスポットライトだけが当たっている状態。
消費されるためのヒーロー、喪失感を伴うブーム。なんだか、ボウイーの歌そのもののような感じがしてきた。
ロックという機能を利用して救世主ジギーを消費したボウイーだが、その後訪れる混沌とした時代に1本の映画に出演した。今やカルト・ムービーとなったニコラス・ローグ監督「地球に落ちて来た男」である。
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